3. 新涯という男
明王院が今日は卓球部の活動日だという事を言っていたので、放課後早速下見に行くことにした。
「あれ…?誰もいないじゃないか」
俺は体育館に来ていたが、活動しているのはバスケ部とバレー部だけで、卓球台もなければ、ラケットを持つ生徒の姿も見当たらない。彼らが着替える時間を考慮して少し時間を置いてから来たつもりだったので、見当たらないという事は、今日は臨時の休みか何かだったのだろうか。
面倒くさがらず事前に卓球部の誰かに活動予定を聞いておけばよかったか、と思いながら校舎の方に踵を返していると、体育館横の方から素振りをする音とカウントのかけ声が聞こえた。
何かと思い上履きのまま横に歩いていくと、そこにはバドミントンのラケットを振る生徒達がいた。何でこんな所で練習しているんだろう。
「ああ、そうか」
先ほどの体育館の光景を思い出した。今はバレー部とバスケ部が占有している。体育館を使用する部活全てが、内部を利用できるとは限らない。
俺は上履きが汚れるのも構わず、そのままぐるりと体育館の周りを一周する。果たして、それらしき生徒達は見つかった。彼等は特徴的な横スマッシュの練習や、筋トレをしたりと思い思いの方法でトレーニングをしている。
暫く遠巻きに眺めていると、不審に思ったのか、卓球部にしておくには勿体ないくらい体格のいい男子が一人、こちらに歩いてきて俺に話しかけて来た。
「何か用すか」
「あ、いや…見学してるだけなんですけど」
別に凄まれた訳でもないのに、体格のせいで思った以上に迫力があって、ついしどろもどろになってしまう。
「入部希望なら見るだけじゃなくて、練習参加して貰ってもいいすよ。うち人数少ないんで、今なら直ぐラケット握れますんで」
男子は見学という言葉に気をよくしたのか、積極的に勧誘を始めた。
まずい。明王院の言っていた通り、2年に空きがあって人を欲しがっているというのは本当だったようだ。邪険に扱われるより、変に期待される方が逆に辛い。
「ごめんなさい。俺新聞部の人間なんです。2年の千年って言います。ここに来たのは、1年の新涯君って子がどんな子か見に来ただけなんですよ」
俺はあらぬ誤解を受ける前に、素直に自己紹介をした。彼は新聞部、という言葉を聞くと、何やら思い当たる節があったのか、ああ!と大仰に驚く。
「うちの紹介記事書くって奴してくれるんですね!俺、千年さんが探してる一年の新涯って言います!」
新涯と名乗った彼は、その卓球部らしからぬ日焼けした顔を笑みの形に変えると、タックルでもするかの勢いで距離を詰めてきた。びっくりするほど顔が近くなって、立ち上る様な汗臭さが凄く匂う。
「君だったのか。ごめん、まだ検討中なんだ。その下見ってところだよ」
本当は、この歓迎ムードならやり易そうなので、俺の中では彼に決定していたのだが、部長の承認を得る前なので伝えるのは差し控えておいた。もし部長に提案して却下されたら、傷つくのは彼だ。糠喜びはさせたくない。
新涯君は決定でない事に少しショックを受けたようだったが、直ぐに気を取り直すとでかい声で喋り始める。
「俺に決めてくれるなら何でも協力しますんで、何でも言ってくださいね!知ってると思うんすけど、3年の先輩が卒業したらもう1年しかいなくなっちゃうんで、ほんとに一人でもいいから部員欲しいんすよ。ここで新聞部さんに協力して貰えたら鬼に金棒っていうか!俺と千年さんのダブルスで皆のハートにスマッシュ決めちゃいましょうよ!」
「んふっ」
こいつアホや。
新涯君の卓球説得に思わず噴いてしまった俺は、一気に彼の事が気に入ってしまった。
「俺は一応押すつもりだけど、部長がどう言うかは解らないから、通ったら連絡するよ」
よくテレビである、当選者の発表は商品の発送を以て代えさせて頂きます形式である。
「あざっす。期待してます。マジで人少ないんで、出来れば部員だけじゃなくてマネージャーも募集したいんですよねぇ…」
新涯君が急に少し疲れた顔をして、語尾を弱弱しくする。
「へぇ、マネージャーも足りないの?」
口ではそう言ったものの、野球部やバスケ部ならわかるが卓球部にマネージャーって必要なのだろうか、と割と失礼な事を思っていた。
「いたんですけど、最近来なくなっちゃて…。その人2年の先輩なんで、3年生が受験で忙しくなってきてるから頼りにしてたんすけど、連絡も取れないからお陰で今は困ってて困ってて…」
新涯君が弱ったとばかりに、持っていたラケットの柄でゴリゴリと後頭部を掻いた。
「はぁ、なるほどね」
実質ほんとに一年だけで部を運営しなくてはいけなくなっているのだ。一年坊主が部長代行兼マネージャーをする苦労は、察するに余りある。
「大変だな。卓球どころじゃないだろ」
「そうなんすよ…わかってくれます?もうラバーつるつるのラケットくらい何もできないっすよ」
その例えはよくわからなかったが、非常に大変なのは伝わってくる。記者として肩入れするのはよくないが、もし特集が新涯君で通ってしまったら、かなり贔屓目に書いてしまいそうだった。まあ、それも部長を通れば、の話なのだが。
「その2年の子の名前ってわかる?何なら来ない理由だけでも聞いてみるけど」
新聞部として協力できない今は、せめて個人的にできる範囲で手伝ってあげたい気分になっていた。もしその2年の子がマネージャーをもうやる気がないなら、それはそれできちんと宣言しなければ、卓球部の面々もどう扱っていいか困るはずだ。
「赤坂先輩す。ちなみに女子で、下の名前は忘れちゃいましたけど。クラスとか誰かに聞いてきましょうか?」
「いや、いいよ。2年で卓球部の女子マネージャーってだけでわかると思う」
勿論わかるのは俺ではなく明王院と多治米だ。
余り話し込んで、ただでさえ忙しいであろう新涯君の邪魔をするのも悪かったので、俺はそこで話を切り上げて部室に戻る事にした。
「よし、いっちょ気合入れるか」
部長へのプレゼンを頭で組み立てながら部室棟の廊下を歩いていく。自然と足早になっている自分に気づいて苦笑いが漏れたが、今は一秒でも早く、部長の許しを得て新涯君に特集記事の内定を伝えてあげたかった。
翌日の朝。
学校に着くと明王院がせっせと提出物の制作に取り組んでいたので、俺の物を写させる代わりに、卓球部のマネージャーの話を聞くことにした。
「卓球部のマネージャーの赤坂って子、何組か知ってるか?」
課題を写し終わって、すっかり安心しきった顔の明王院に話しかける。
「隣のクラスの赤坂だろ?あのちっこいの。お前からその名前が出るなんてどういう風の吹き回しだよ」
即答だった。明王院は体育館を使うので知っているだろうと予測していたが、読み通りだ。
「お前がクラスまで覚えてるってことは、実は狙ってたりする?」
「まあ、可愛い系ではある。でも覚えていた理由はそっちじゃない。うちのマネージャーともよく交流してるし、体育館の使用に関してもあいつがメインで調整してたからな。むしろ、今の1年だらけの卓球部のメンバーより、俺にとっては赤坂の方が断然馴染みが深いし、あいつらよりもずっと頼りになると思うぜ」
明王院が女子を誉める所を余り見た事がなかったので、俺は朝から軽く驚いていた。
「へぇ、結構そう言うとこも見てるんだな」
「女子マネージャーは機嫌を損ねたら後が怖いぞ。それで、何で聞いてたんだ?校内美少女カレンダーを新聞部で作ろうってんじゃないだろ」
部費稼ぎも兼ねてその闇商売は非常に魅力的だったが、既に写真部辺りが隠し撮りで日めくりカレンダーでも作ってそうだ。
「昨日だけど早速、卓球部の新涯君の所に行ってきたんだよ。お前の言う通りいい子だったし、取材にも物凄く協力的だった。それで色々話してるうちに、マネージャーが部活に来てないって話になってさ。連絡が付かなくて困ってるみたいだから、2年で俺なら行きやすいし、部の窮状だけでも伝えあげようと思ってるんだ」
俺は事情をなるべく簡単に説明する。
「そう言われてみりゃ、最近赤坂見てない気がすんな…」
明王院が思い出しているのか、指折り数えるような仕草をする。その折り畳まれていく指をみると、片手で済む日数ではなさそうだ。それだけ開けていれば、流石に卓球部もマネージャーとは言え困るだろう。
「おっはー。何してんの?明王院が悩んでるとか真面目な話?」
遅刻ギリギリの所に、えらく余裕な表情で多治米が登校してきた。
「千年が卓球部の赤坂の事聞いてくるから教えてやったんだけど、最近あいつ部活顔出してないなと思ってな」
明王院は面倒くさくなったのか、数えるのを止めて多治米の質問に答える。
「あれ?千年昨日はあんなに素っ気なかったのに、私の話に興味持ってくれたの?」
多治米がよくわからない事を言いながら、嬉しそうな顔で俺を見る。昨日と言われても、特に身に覚えがなかったがそんな話をしただろうか。
「お前の話って、何の話?」
「だから、隣のクラスに最近家に帰ってない子がいるっていったじゃん!もう!聞いてなかったの!?」
俺は多治米にそこまで言われ、ようやく昨日の朝の家出少女の話と多治米の浮かない顔を思い出していた。
「なるほど、あれって赤坂の話だったのか」
あの話がこう繋がるか、と一人感心していると、明王院も気持ちは同じだったのか、腕を組みながら何やらひょっとこのような顔をして味わい深げに頷いている。
「二人とも何でそんな気持ちよさそうな顔してるの?私だけ置いてけぼりなんだけど」
「世界は狭いな、千年」
「だな。でも、当人が学校に来てないんじゃ、赤坂へのメッセンジャーは達成できそうにないわ」
困ったものだ。家にも帰らず、学校にも来ず連絡が取れないのなら、それはもうお手上げだ。
「私赤坂さんの家に遊びに行った事があるから知ってるけど、場合によっては家に伝言を置くことはできると思うよ。何を伝えるつもりだったの?」
「えーっとな。部活の皆が赤坂の復帰を待ってるから早く顔を出してほしい。でも事情があって部活にもう出られないなら、ハッキリ卓球部に辞めるって言ってあげて欲しい。って伝えるつもりだったんだけど、わざわざ部外者が家に行ってまで伝言をする事でもなさそうだな…」
元々、2年の教室で1年の新涯君たちより気軽に赤坂の所に行けそうだったから、軽い気持ちで提案した案件だけに、そこまでする気はさらさらなかった。
それに俺が知らないだけで、もしかしたら学校か部活の事が家出の原因になっている可能性もあったし、事情を知らない人間が周りをウロチョロするのは正直気が引けるものがある。触らぬ神に祟りなしだ。卓球部には悪いが、やはり独自で解決してもらおう。
「そっか…卓球部の子達も心配してるんだ」
話の行きがかり上喋ってしまったが、多治米を朝からしょげさせてしまう結果となった。心配している人間にしていい話ではなかったな、と今更ながらに反省をした。
「早いとこ学校来るといいな」
俺は適当に慰めの言葉をかけたが、勿論その程度では、多治米の顔が晴れる事はなかった。