11. 夏の終わり
週明けの放課後、部会が終わった後にオカ研に顔を出すと、いつも通り沼隈が一人で本を読んでいた。
「こんな所に来る暇があるとは思わなかったわ」
相変わらずの皮肉で沼隈が俺を出迎えてくれる。
「原稿自体は見切り発車である程度作ってたから昨日で仕上げたんだよ。今晩推敲すれば出来上がりだ」
椅子に座り、沼隈の前にA4用紙一枚物の原稿を置く。
「お前から聞いた話も混ざってるし、齟齬がないか読んでみてくれないか。その為に来た」
「別に、私の事さえ書いてなければ何だって構わないわ」
沼隈は手に取りはしたものの、言った言葉は本気なのか、片手でやる気なさげに目を通していく。
「ところで、先週聞きそびれていたんだが、一発で黒電話がある教室を引き当てるなんて運が良すぎないか?というかあの電話が呪いの電話じゃないなら、何であそこにあったんだ?」
「それは簡単な話ね。あれは私が自費で購入して設置していたものよ」
「えぇ!?」
俺は素っ頓狂な声を上げた。今回の騒動の黒幕は目の前にいたこいつだったということか。
「道理で、やたらとお前だけ緊張感がないわけだ。瀬戸に本当の事を吐かせる為だけにあんな小道具を買ってきたのか…」
「瀬戸さんを蹴り飛ばして吐かせたのは千年君の方でしょ…うふっ」
自分の言ったことが面白かったのか、沼隈が口元を渡した紙で隠す。そのまま、でもね、と言って彼女が続きを話す。
「ああやって使うのは想定外だったのよ。実は、黒電話の噂が流れ出た頃から、いつ呪いになっても私が手綱を握ることができるように、たまに教室に設置していたのよ。噂があのまま力を持って、勝手に呪いが発動して本当に自分の力で逃げ隠れする電話機が誕生してしまったら、流石に私も手が負えないもの。でもああやって設置しておけば、行き場を持たない力は勝手に流れ込んでくれるから、制御することは比較的容易だったわ。溜まった力は私が瀬戸さんにしたように、吸い取ればいいのだし」
沼隈の口からは、次々と驚愕の事実が述べられていく。
「気分は牡蠣の養殖…いえ、違うわね。こうして甘い蜜を集めてくれるのだから、養蜂かしら。瀬戸さんは呪いが本当にかかったと誤解していたけれど、私が手を加えていなかったら、まあ、可能性としては強ち間違いというわけでもなかったのよね」
「お前、隠れてそんなことをしていたんだな…」
知らないところで危機が未然に潰されていた。オカルト研究部の活動内容を変更したほうがいいんじゃないだろうか。学校内の霊的安全維持とかに。
「ちなみに、回収した黒電話の残骸はまだここにあるから、千年君が記事にして黒電話の怪談を喧伝してくれると、また自動的に力が集まってきて、私が労せずごはんに在りつける仕組みになっているわ。もう電話の形さえ成してないから、どれだけ力が溜まっても自立して命を得ることはできないけれど、私が有効活用してあげる事はできる」
沼隈が指をさした戸棚には、『ステルナ!沼隈』と書かれたビニール袋に黒いプラスチックが纏められているのが見てとれた。
少し俺は拍子抜けしてしまった。
「俺なんていなくても、お前だけでこの件は解決できたんじゃないか」
結構役に立ったと思っていたが、ふたを開けてみれば、沼隈の掌の上で踊っていただけだったのだ。とんでもない孫悟空である。
「そんな事はないわ。黒電話自体は私だけでどうにかなったかもしれないけれど、あなたがいなければ、こんな短期間で話自体は終わらなかったでしょうね。私としては、噂が飽きられるまでこうして蜜を集められるだけ集めるつもりで、解決さえ望んでいなかったのだから、この結果を引き当てた貴方の頑張りは、少なくとも誇っていいんじゃないかしら」
「頑張り、ねぇ…」
変に慰められた気がして、何となく沼隈の言葉を素直に喜べなかった。それに、沼隈との口論の原因となったよう、俺だって記事にする為に解決に動いていただけで、瀬戸と大字を思いやっての行為ではなかったのだから、賞賛を受ける資格はない。情けは人の為ならず、である。
「そういえば、今日食堂で瀬戸とうっかり会ったけど、挨拶したらカッターで切りかかってくる所か、誰だろうこの人みたいな目で見られたよ」
「その言い方だと、カッターで切り付けられなくて残念だったように聞こえるわね」
「そんなわけないだろ。でも、修羅場演じといてああまで綺麗に忘れられてると、ちょっとムッとするさ」
俺と瀬戸の温度差が大きすぎて、非常に遣る瀬ない気持ちになったのだ。例えていうなら、虐めと一緒だ。得てして加害者側と言うのは自分の犯した行為がどれほど残酷なものだったか意識していない事が多く、それが返って被害者の感情を逆なでする。
「……ああ、瀬戸も同じだったのかな」
ふと得心して、つぶやきが口から出た。
「何のことかしら?」
「だから、修羅場を忘れられて腹を立てている今の俺みたいに、自分の彼氏が取られて直ぐ捨てられて、それを大した事じゃないって言われた時の瀬戸も、同じ気分だったのかなって。そりゃ腹立つよなと」
「殺されかけたというのにもう同情を催すなんて、平和ボケした日本人の鑑みたいな人ね」
沼隈の皮肉にはぐぅの音もでない。結果的に無傷だったからか、どうも緊張感に欠けている自覚はある。
とはいっても、何の考えもなく話しかけたわけでもなかった。退学するしかないと騒いでいた瀬戸が週明け平気で学校に来るという事自体が、忘却が成功した証拠でもあった。だが多少の危険を犯してでもその事実を確かめたかった好奇心があったことを、俺は否定できない。結果は、物足りなさを覚えてしまうくらいに見事だった。
「大字が退院したら、また元通りに2人でつるむんだろうと思うと、ちょっと気持ち悪くてもやっとするけどな。また彼氏取られて同じようなことしなきゃいいけど」
「どうかしらね。人間は成長するし、周りの環境だって絶えず変わっていくから、同じストレスを与えたとしても、同じ結果になるとは限らないわ。可能性は高いかもしれないけれどね」
読み終わったのか、原稿を俺に沼隈が返してくる。
「何か指摘は?」
「ないわね」
誤字脱字くらいはありそうなものだったが、彼女の中では終わった事件に興味はないらしかった。
「まあ、ともあれありがとう、助かったよ」
原稿の確認だけでなく、今回の事全部含めての気持ちを込めていったが、彼女が気づいたかどうか。
「どういたしまして」
素っ気ない返事を聞くと、俺は椅子から立ち上がって部室を出て行った。部室とは違い、空気の対流がある廊下は幾分涼しく、少し早い秋の訪れを感じさせる。
思えば、この部室には短い期間で何度も足を運んだが、来るのももうこれで最後だろう。
成り行きで友達になってしまったが、納涼特集など年に一度くらいしか実施はないし、そうするとこんな呪いなんていう人前では話せない話題しか持たない俺たちだから、きっと次にどこかで出くわした時には、どちらかが今日の瀬戸のように知らないふりをするのだろう。
その想像に、俺は一抹の寂しさを覚えた。
後日、多治米から聞いた話によると、黒電話の記事の評判は上々のようだった。
面白い物で、あれだけ噂されていたこの話も、周知の事実となると、手あかに塗れた物には価値がないとでも言うように、次第に皆の口に上らなくなっていった。この消費社会の現代では、おどろおどろしい呪いや怪談でさえ、消費される運命らしい。大字が学校に来る為のほとぼりを覚ます期間としては、十分だったといえるだろう。
「ねえ、知ってる?」
教室の後ろの方では、女子たちがまた新たな噂話に花を咲かせている。
「げに恐ろしきは呪いでも何でもなく、流行り廃りってね」
多治米が教室の後ろを見ながら苦笑する。
「所で数学の小テストどうだった?…うわっ、やばあんたそれ…」
一人この世の無常に苛まれていると、多治米が俺の握りしめていたレ点だらけのテスト用紙を見て絶句する。
赤点。
補習の二文字が脳裏をちらつき冷や汗が脇の下をツウ、と伝う。
「勉強する時間がなかったとは言え、ここまでとは…」
納涼に怪談なんて必要ない。赤点ひとつあればいい。
記憶を食われた瀬戸も、きっと俺と同じ清涼感を覚えているに違いなかった。
一部これにて完結となります。長い話に付き合ってくれて本当に有難うございました。いかがでしたでしょうか。
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