1. まだ夏は終わらない
最近夏休みが短くなってきているらしい、という衝撃的なニュースを昨日ネットで見た。
ゆとり教育からの揺り戻しかと思いきや、冷房の普及で授業に支障がなくなった事が理由らしい。
残暑の残る、冷房の効かない生ぬるい教室でその話を友人の明王院にした所、彼はその端正な顔を、期待通りの非常に嫌そうな形に歪めてくれた。
「じゃあ、北海道みたいな冷房がいらないとこはどうなるんだ?元から休みが少ないのか?」
ニュースそのものの信憑性を落として不愉快な情報を葬ろうとするかのように、明王院が重箱の隅をつついてくる。
中々目の付けどころが鋭い奴だった。
「そこだよ。後でネットで調べてみたけど、凄いよな。北海道は26日しかなかったんだ。俺たちみたいな多い県からすると10日も短い」
「信じらんねぇ…」
今日がこの世の終わりかとでも言うような絶望した表情をする。
「俺北海道だけは絶対住めねえわ」
こいつは一生学生のままでいるつもりだろうか。
「俺もそう思ったんだけど、これには実はオチがあってさ」
「なんだ勿体ぶるなよ」
明王院が目をキラキラとさせながらこちらの続きを急かす。
「実は、北海道はその分冬休みが長いんだ」
ぶはっ、と明王院が噴き出し、俺は期待通りの反応を得られて心の中でガッツポーズを決める。
この理論で行くと、沖縄は冷房が普及している現代では夏休みが短縮されている上に、冬休みがもともと温かく短いはずなので、他県に比べて圧倒的に大型連休が少ないという学生拷問地帯になるのだが、本当にそうなのかは、途中で飽きて調べるのはやめたので分からなかった。
もしそれが事実なら恐ろしすぎるし、明王院の言葉を借りるなら、北海道ではなく沖縄にこそ転校してはならない。南国ではなく南獄と呼ぶべきだ。
「どっちにしろ、早く涼しくならないもんかね。そういえば新聞部さんよ。あの納涼企画は進んでるのか」
噴き出して熱くなったのか、明王院がシャツのボタンを2つほど開け、運動部らしい鍛えられた胸板に下敷きで風を送りながら聞いてくる。筋肉量が多いからか、彼は非常に暑がりだ。
明王院のいう納涼企画というのは、俺が部長から任されているホラー特集の記事のことだ。
「ああ、あれね。適当にネットからホラー小説でも借りてきて打ち込もうと思ってたんだけど、プレゼンの段階で部長を突破できなかった」
けんもほろろという奴だ。
「どうしてまた?ホラーなんてどれも変わらなくないか?」
俺もそうは思う、と心の中で同意をする。
「部長曰く、そんな纏めサイトみたいな事するのは新聞ではありません、だそうだ」
「うっわーめんどくさ。新聞部じゃなくてよかったわ」
明王院が心底嬉しそうに笑う。
俺からすると、明王院の入っているバスケ部の方が朝練だの遠征だので大変そうに見えるのだが、望んでやっている本人からすると、大した苦労でも何でもないのかもしれない。
俺は昨日の部室でのやり取りを思い出していた。
我が新聞部は毎週月曜の夕方に定例部会がある。
内容としては、今後の活動方針や自分の受け持っている原稿の進捗具合などを報告するのだが、原稿の進捗が悪い部員は、部長から魔女裁判もかくやという壮絶な追い込みを食らって、女子などは泣き出してしまう程だった。
男子がすれば学校中の女子から総スカン食らってもおかしくなかったが、有難いことに我が部の部長様は女子であり、女の敵は女とはよく言ったもので、弾劾の厳しさは、時にそこまでやるかと目を覆いたくなるほど、男子にはできない苛烈なものがある。
そして、昨日はその被告役が俺の日だった。
懺悔という名の言い訳も聞き入れず、青筋を立てながら怒る部長の眼鏡越しの血走った目はそうそう忘れられるものではない。たかが部活でどうしてこうも本気になれるのか、と内心うんざりしてしまう。
怒鳴り散らさず淡々と反論できない事実を冷たく突きつけてくる様は、弁護士物のドラマで見る検事のやり方そのままだ。そもそも一番の理不尽が、部長は検察であり裁判官も兼任しているので、彼女の一存だけですべてが決定してしまう事だ。地獄の閻魔様と同じである。せめて弁護士を呼ぶ権利が欲しい。
そんな進退窮まっている俺は、次回の定例部会という名の公判までに、取り合えず記事の方針だけでも決めておいて、閻魔様の心証をよくする必要があった。
「明王院さ、何かいいホラーネタないかな?どうせならこの学校で流行ってる奴とかなら有難いんだけど」
こいつとはそもそも噂話なんて話題にすることがないので期待できなかったが、背に腹は代えられない状況だったので、藁にも縋る思いで聞いてみる。
ネットの纏め系がダメなら、実際に語られている学校の怪談系でいくしかない。
まだこちらなら学生掲示板である程度話も拾えるし、取材に関しても、学校の生徒に聞きまわる程度で済むから比較的足を使うこともないだろうという目論見があった。ある程度話の量が揃いさえすれば、過去の怪談との比較なり寸評を図書館で調べながら厚みを増せばいい。
地元に古くからある爺さん婆さんが知っているような怪異譚は郷土史を調べたり公民館に話を聞きにいくなど、労力と時間が必要になるので、できるだけ手を出したくなかった。手を抜ける所は抜きたいのが本音だ。
「流行ってるかはわからないけど、ショッピングモールの話くらいだな。最近聞いたのは」
神に祈りでも通じたのか、バスケの話題くらいしかなさそうだと思っていた明王院のデータバンクに、ホラーの在庫があるらしい。意外と聞いてみるものだ。
「どんな話だ?」
「潰れたショッピングモール、知ってるか?」
「知ってるよ。駅前のができてすぐ潰れたやつだろ」
そうそう、と明王院が頷く。
我が地域にはほんの数年前まで、2つの大型ショッピングモールが400Mの近さに存在するという不思議な現象が起きていた。都会ならまだしも、ここは政令指定都市にもなっていない県庁所在地がある程度の田舎にである。
新しい方が駅前という車で行くにはいささか不便な場所だったので、住民の多くは誘致計画の時点では運営に非常に懐疑的であったが、九龍城のように馬鹿でかい地上7階、地下2階建ての建物ができてからは、そのスケールの大きさに圧倒され、次第に皆の口からは、肯定的な言葉ばかりが出てくるようになっていった。
駅前という立地条件は県外からの人間が来るようになって有利に働き、入っているテナントが都会と遜色ない物が揃っていたので、皆そちらに行くようになり、もう一つのショッピングモールは、しばらくは頑張っていたものの、結局潰れてしまったのだった。
地元住民の俺としては、潰れた方のショッピングモールの方が、微妙にいけてないテナントが入っていて値段も手ごろで親近感があったし、大容量の駐車場がスムーズに駐車できて非常に良かったのだが、売り上げは正直だったようだ。
潰れる直前は子供が幾ら騒いでも全く問題ないので、逆に家族連れで賑わっていたという皮肉ぶりである。
「あそこ、今完全に廃墟になってるだろ。そこにこないだ先輩が肝試しにいったんらしいんだが、なんか変なにおいがすると思って調べてたら、大量のかばんとちぎれた服が散乱してる場所があったらしいぜ。しかも血痕付き」
「それって、入ってたテナントの残りとかじゃないのか?」
可能性としてはそれが大いに考えられる。
「だからってわざわざバラバラにして血までつけるか?なんか服がバラバラになりすぎてて、何人分とかは正確にはわからなかったそうだ。気味が悪くなって直ぐに帰ったってよ」
「ふうん…」
ホラーというよりは、薄気味の悪い感じの話である。
明王院の言うように、もしそれらが本当に人の物だというのなら、殺人事件にしては余りにも証拠を残し過ぎているのではないだろうか。頭隠して尻隠さず、という表現がぴったりだ。
服飾品関係は死体と違って、洗濯して血痕さえ落としてしまえば、燃えるゴミにでも出せば証拠隠滅としては比較的容易なはずだが、敢えて残す事に何の意味があるのだろう。
もしかしたら、実は見つけて欲しいのだろうか。連続殺人鬼などは自己顕示欲を満たすため、わざと証拠を残して警察や世間を挑発し、マスメディアの盛り上がりを見て悦に浸るというが、何となくそれに近い物を感じる。
今回の特集記事とは関係なさそうだが、新聞部としては興味をそそられる話だった。
「明王院さ。知ってたらでいいけど、最近犬とか猫のバラバラ死体が町で見つかる事件ってあったっけ?」
「ないと思うが、俺は新聞もニュースも見ないからそもそも知らん。何で?」
「大体連続殺人犯ってのはさ、初めは昆虫とか小動物から試していって、どんどんそれがサイズアップして人間に行くらしいんだ」
過去の反省から、最近では警察もその時点で予防捜査に乗り出す事もあるらしい。
明王院が苦虫を噛み潰したような、心底嫌そうな顔をする。
「そんな奴がいる街に住みたくねぇなあ」
「まぁ、そこには同意だよ」
話はこれで終わりとばかりに、俺は肩をすくめて口をつぐんだ。
連続殺人鬼トリビアとして、動物の次は児童への声かけ案件なども並行して発生するというものもあったのだが、これ以上明王院の顰蹙を買うのはよくないし、そもそも教室で話すような内容ではない。
「おっはー。朝から物騒な話してるねぇ」
隣の席の女子の多治米が、足取り軽く登校してきた。
声を潜めていたつもりはないが、結構聞こえていたらしい。トリビアを披露しなくてよかった。
明王院と一緒に多治米に挨拶を返すと、俺は彼女にこんな物騒な話をしていた経緯を説明した。
「多治米は何か流行ってる怪談話知らない?」
俺は矛先を今度は多治米に向ける。多治米はうーん、と考えると、思いついたのかこういった。
「黒電話って知ってる?」
黒電話。黒い電話。その話には心当たりがなかったので、俺は首を横に振る。
「あの昭和の再現ドラマに出てくるような、固定式の電話の事か?」
明王院が右手の人差し指を立てて小さくくるくると回し、電話をかける仕草をする。
俺もテレビで見て存在は知っているが、実物を見たことはない。
「そそそ。凄いんだよ。あれって電話回線だけで電源いらないんだよ。停電した時でも回線さえ生きてれば電話できるんだから」
多治米はまるで我が事のように自慢げに説明する。
正直な所、今の話は知らなかった。必要な電力がもの凄く小さいということだろうか。
携帯ならそもそも電話回線自体いらないんじゃ、といいそうになったが、野暮なのでやめておいた。
「おっとごめんね。話が脱線しちゃった。その黒電話っていうのはね、それを見つけて電話したら、霊界と通話ができるっていうやつだよ」
思わぬ救いの女神だった。
「霊界?死者と話ができるってこと?」
「うーん、多分そうだと思うんだけど、ごめんね。私も人から聞いただけだから詳しくはわかんないや」
多治米はお手上げ、とばかりに手のひらを俺たちに見せる。
「誰か見つけて使ったことがある人っているのか?」
俺は続けざまに多治米に尋ねた。
「私は知らないな。そもそも黒電話自体中々見つからないみたいだよ。いっつも決まった所にあるんじゃなくて、自分で移動するからまず会うことが難しいみたい」
オアシスみたいな電話機だった。流石霊界通信機能端末、何でもありである。
そんなどうでもいい事を俺が考えていると、疑問に思ったのか明王院が多治米に質問する。
「話は面白いけど、それっておかしくないか。誰も使ったことがないのに、霊界に繋がるって機能があるのは知ってるってことだろ?」
明王院のいうことは尤もだったが、話の矛盾を指摘した所で、作者でない多治米はたまったものではない。
「だから、私も聞いただけだって言ってるでしょ!」
多治米が面倒くさそうに怒り、予想通り機嫌を損ねる結果となった。
不機嫌な多治米とまだ突っ込み足りない明王院に挟まれていると、あたかも試合終了のゴングのように予鈴がなったので、二人は席に戻り話は打ち切りとなった。
「あのさ、後で俺だけでいいからさっきの話詳しく聞かせて貰っていいか」
多治米に横からこっそりお願いをする。
記事にできそうなものは、何でもいいから聞いておきたかった。
「いいけど、私が知っているのはあれくらいだよ」
先ほどの明王院の態度がまだ癇に障っているのか、多治米の態度が何時もより少し冷たい。
「話の内容だけじゃなくて、誰から聞いたのかの方が知りたいんだ」
それでいいなら、と多治米は引き受けてくれると、担任が教室に入ってきた。
さあ、今日も一日が始まる。