死にたい。
僕には全く居場所がない。
家に帰ると怒鳴られて、学校に行くと虐められて、外を歩いていると白い目で見られる。
毎日毎日そんな調子で、僕は段々疲れてきた。だから死のうと思った。思い立ったがなんとやらと言うので、その日のうちにアパートの屋上へ行った。転落防止用の柵を乗り越えてヘリに立った。死のうとしているのに僕の手はしっかりと柵を握っていた。そのまま下を覗き込むと背筋に寒いものを感じ、頭にくらりときた。結局僕は飛び降りなかった。
「僕は高所恐怖症だから、この死に方は向いていない」と、そう思った。
それから5日程生きてみた。僕は再び死にたくなった。だから死のうと思った。今度は風呂で溺死しようと考えた。前回の反省を活かしてのことだった。また、心のどこかでは自分を毎日僕を怒鳴りつけていた親への嫌がらせとしての気持ちもあった。風呂一杯に湯を張り、爪先から頭までをその中に沈めた。死のうとしているのに僕の口はしっかりと閉じ、湯を飲み込むまいとしていた。そのまま暫く沈んでいると、息が苦しくなり、結局僕は風呂から飛び出てしまった。
「苦しくなってから息を吸おうと思えば吸えてしまう。逃げ道が用意されているのでこの死に方はうまくない。」と、そう思った。
それから7日程生きてみた。みたび僕は死にたくなった。だから死のうと思った。
今度は部屋で縊死しようと考えた。前回の反省を活かしてのことだった。縄は売っていなかったので、釣り糸を縒ったものを天井の梁から吊るし、先端に輪を作った。勉強机から椅子を引っ張ってきてその上に乗り、輪を首にかけた。死のうとしているのに僕の足は椅子から降りようとはせず、剰え僕の手はしっかりと輪を握っていた。結局僕は飛び降りなかった。「降りたあとの苦しみを考えると足がすくんでしまう。死ねるのは良いが苦しまなければならないのは僕の本意ではない」と、そう思った。
それから10日程生きてみた。またぞろ僕は死にたくなった。だから死のうと思った。
気づけば僕は一年程これを繰り返していた。
思いつきで書きました。
タイトルの句点は、主人公である「僕」はどこまでも「死にたい止まり」であると言うことを表現したつもりです。
その他は特に意識して書いたところはないです。特に伝えたいことがあったわけでもないので深読みしても何も出てきません。怒らないでください。極論わざわざ本文など読んで下さらなくても結構です。