その4
無慈悲過ぎる刃を喉元に置かれている空間の中、関口は微動だも許さない状態にいた。捕えられている彼の額に、瞬時にして汗が吹き出す。
「あ、あなた」
璃緒は忘れ去っていた朝の出来事を思い出した。紅色の軍服の強面の男性が枕元にいたことを。
「最後の忠告と思え。姫の手を今すぐに離せ」
関口の手が震えていた。只ならぬ状況と緊張のせいで、強張った手は意志と反対の行動をとっている。
「そうか、聞けぬか。ならばその手ごと体からこの刃で削ぎ落とすまで」
その男は剣の鍔を返し、刃を手首から喉元に向けた。
「姫に危害を加える者は何人たりとも許せぬ。王の使命のもと、おまえを葬り去るのみ」
男の冷酷なまでの瞳は、確実に殺意を見せている。
「ちょ、ちょっと!」
璃緒は慌てて、関口の手を掴んで振り解いた。
「は、離れたわよ! ほら!」
彼女は両手を男に広げて見せる。だが関口の喉元にある剣は、未だ鈍い光を衰えさせていなかった。
「ねえ、もういいでしょ! 彼を離してあげて!」
「姫、このような不埒な無法者を野放しにしておく必要はありません。このまま一掃致します」
男は真剣な顔で静かに告げる。関口の引き吊った顔から、汗と鼻水と涙がこぼれ落ちていた。
「だめだったら! 今はあんたが無法者よ!」
*****
「おい、そこ! 何してるんだ!」
璃緒は目を丸くする。薄暗い周辺を照らすLEDライトを光らせながら、パトロール中の警察官が自転車から降りた。
同時に冷酷な切れ長の目が警官を刺し睨む。闇から威圧を感じた警官は、もんどり打って自転車と共に倒れた。
「お、お前! 不審な奴だ! そ、そこを動くな!」
「早くその剣を締まって。じゃないと、変なことになっちゃうじゃない!」
もう一度、軍服の男は警官を凝視する。その度に警官は動きを封じこめられ体を固まらせた。
「あの輩も、姫に危害を加える者とならば、仕留めてご覧にいれましょう」
「な、なに、馬鹿な言ってんの、もう! とにかく剣を隠して!」
靴先を地面に擦り付けながら、警戒した警官が近づいて来る。璃緒は目の前の男を見据えた。
しかし男はその剣の手を緩める気配はなく、今にも襲いかかる敵意が滲み出ている。
「あなたは王様の命令で、私を守っているのね」
「畏れおおくも」
男は少しだけ視線を璃緒に戻す。
「じゃあ、私の言うことも聞いてくれるの」
「王の勅命を受けている私は、姫の忠実なる家臣でございます。姫のためならば敵と刺し違えて死することも覚悟しております」
それを聞いた璃緒は大きく息を吸った。
「だったら、その剣を隠して」
しかし男は首を横に振る。
「生命的危機状況の場合、いかなる時も姫をお守りするのが至上の命。姫、無用な哀れみなど必要ございません。たかが小童ども二人、瞬時に仕留めます」
「哀れみじゃないし、お願いじゃない」
璃緒は殺竟を剥き出しにする大きな男を睨んだ。
「姫の……」
彼女は眉間に皺を寄せ、唇を噛んで決心する。
「姫としての命令です。剣を鞘に納めなさい」
手元そのままに眼球のみ動かした男は、その真摯な顔を見て取った。
「御意」
関口に迫っていた剣は、首もとから離れていき元の鞘に収まる。腰から崩れていき、力無く地面に座り込んだ。
璃緒は男に小声で呟く。
「剣全部、丸ごと隠して」
まるでマジシャンのように、その長い剣を腰裏にて一瞬で隠した。
「おい、あんた。さっき物騒なもの持ってなかったか? 銃刀法違反だぞ」
警官は少し顔を引き吊らせながら、LED懐中電灯を顔に浴びせる。
「な、何でもないんです。友達が急に気分が悪くなったので、一緒に看てもらってたんです」
璃緒と関口の顔を警官は覗き込む。
「そうなのか」
関口と男は答えられないが、璃緒は大きく何度も頷いた。
「君がそう言うなら、いいのだが」
警官は今でも璃緒の顔を見て、訝しげな表情をする。彼女は努めて明るく微笑んだ。
璃緒の細長く、毛先がカールしたブラウンのセミロング髪、血色の良い肌、顎が引き締まった端正な顔立ちに、大きな茶褐色の輝く瞳が印象的だった。
「そうです。この人たちは、とても安全なんです」
「しかし、この人はコスプレが趣味なのかね」
若干まだ戦く警官は如何にも怪しい軍服の男をチラ見する。そして「もう遅いので、早く帰りなさい」と付け加えた。
軍服の男は不思議な顔をして口を開く。
「姫、コスプレとは何ぞ」