その3
璃緒が帰宅すると、居間から大きな笑い声が響いていた。
「なんなの、騒々しい」
玄関の扉を開けるや否や呟く。
「不審者でも進入しましたか」
カオスは璃緒の前に出て、庇うように歩き出した。
「大丈夫。カオスも不審者に近いけど」
廊下をスリッパを鳴らして君子が出てきた。
「何だか、光太郎さんとリュークさん、気が合っちゃって」
「お父さんとリュークが? あの堅物と話が合う?」
想像できない取り合わせに、璃緒は素っ頓狂な声を上げる。
「お酒飲み始めたら、あなたのことで盛り上がってるみたい。リュークさん日本酒が大変気に入って、旨いって連呼してるの」
璃緒は悪寒に近いものが背筋を這ったように身震いした。
「よくわからないけど、あなた凄いことやってきたらしいわね、リュークさんの宇宙船で。カオスくんを脱走させたんだってぇ」
君子はいつもより、一オクターブ高い快活な声を上げる。
「あんな色男に、ああまで言わせるなんて、学校の成績以上の事よ。母さん、何だかやきもち焼いちゃうわ。もてる姫に」
笑いながら、君子は指で璃緒の鼻を突いた。
「ひょっとして、お母さんも酔ってる?」
「少しね、少し」
ほんのり赤ら顔の君子は、璃緒と腕を組んで寄り掛かる。
「だって嬉しいの。自慢の娘が、璃緒の顔がまた見れて」
「お母さん……」
寄り添う君子を誘導しながら、璃緒は廊下を歩いていった。
「姫、僕はどうしましょう?」
独り残されたカオスは対応の仕方がわからないでいる。くすっと笑って、璃緒は手招きした。
「随分と姫はみんなに守られているのですね」
カオスはひとりごちして、二人の後を追った。
*****
「おお、姫! 今、帰られましたか! 我らの女神、璃緒姫!」
リュークはご機嫌な声を発した。そしてグラスを傾け、日本酒を飲み干す。
「酔ってるねえ、リューク。リオン姫から、璃緒姫になってるし」
ダイニングテーブルの椅子に座わりながら、不機嫌そうに口を尖らせた。
「それに、いつ浴衣に着替えたのよ。裾が全く寸足らずだし」
「姫! こちらで一緒に宴を楽しみませんか!」
大島織りの紺色浴衣に身を包んだリュークは赤ら顔で手招きする。戦闘服に身を包む男の、これほどハメを外す行動は絶対に見ないだろう。璃緒は黙って彼を観察した後、ため息をついた。
「いい。こっちでご飯食べるから。カオスもここに座って」
「そのような寂しいことを申されるな。光太郎殿も願っておられますぞ」
紅潮した顔に、笑みを浮かべながらリュークは叫ぶ。
「いいってば!」
苛ついた表情で彼女はそっぽを向いた。カオスはそんな璃緒の横顔を見つめる。
「姫、やはりリュークの奴を懲らしめましょうか。使命を忘れるとは不届きな男です」
彼は人差し指を立てた。その指を璃緒はむんずと掴む。
「やめて。カオスは気にしなくていいから」
カオスは彼女の瞳を見つめ直した。
「今日は家族三人で、ゆっくり話したいと思ってたけど……」
カオスから離れた指を、両手に絡めて璃緒は呟く。
「おい、璃緒。リュークさんはとても愉快な人だ。お酌でもして差しあげなさい」
思わずリュークは日本酒を吹き出した。
「はあ?」
箸を片手に璃緒は再び、素っ頓狂な声を上げる。
「こ、光太郎殿、そ、それはいけません。姫にそのようなことされては、私の立場がありません」
酔っていても、その辺りの分別はついているようだ。
「リュークさん、この家に居る時、璃緒は姫じゃありませんよ。百瀬家の、私たちの娘ですから」
そのひと言は璃緒の気分を十分晴れさせた。カオスはその顔を見逃さない。彼女はにんまりとした。
「そうよね、随分色々と、お世話になったリュークさんだし」
「リ、リュークさん?」
男は璃緒の含み笑いに、妙な緊張をして背筋を伸ばす。彼女は飛び跳ねながらリュークの側に寄り、二合とっくりを持ち上げた。
「ささ、リュークさん。一杯どうぞ」
突然リュークは立ち上がり、胸に手を当てる。
「姫から直接杯を受けることは、我が勲章に値します!!」
璃緒は浴衣の裾を引っ張った。酔ってる彼は少々足元をよろめかせる。
「はいはい、わかった、わかった。座ってリュークさん」
赤ら顔の男を璃緒は笑った。
「姫、光栄の至りです!」
「カオスも、こっちくる?」
彼はテーブルで慣れない箸と苦戦中で、漬け物を口にくわえている。
「僕はここで結構です」
「そうです。奴はあの場所で十分です」
リュークのその言葉に、璃緒はむっとして声を強めた。
「リューク、リオン姫としての命令です。カオスを呼んで、私の隣に座らせなさい」
「御意!」
と答えて、男は青ざめてグラスを落としそうになる。
「奴を、私がですか!?」
「そうです。無理ですか私の言葉」
口を尖らせた璃緒は胸を張った。
「い、いえ!! 姫のご命令とあらば!」
若干リュークは戸惑いながらカオスの顔を見る。男はいつも上目使いで睨みつけ、交戦的だ。
「奴は我々以外の星々の民も惑わせ、滅ぼしてきた冷酷無比の大敵。触れることも、切ることも出来ない。野放しにして置くなど考えず、幽閉、禁固し、屍にしろとは高老院の考えだった。それが、まさか奴と肩を並べて酒を酌み交わすなどとは……」
「リューク、じゃあ、早く呼んで。宴はみんなで楽しむものでしょ」
璃緒の言葉は、強い。光太郎がグラスに日本酒をなみなみと注ぐ。
「リュークさん、璃緒は小さい時から、言ったらテコでも動かない、頑固者ですよ」
君子が付け足すと、リュークは息を吐き、愉快そうに笑いだした。
「あっぱれ。それでこそ我が姫。私の思惑などつまらないものだ」
その酒を一気に飲み干し、グラスを持つ手を挙げる。
「カオス、姫からのご所望だ。一緒に飲もうではないか」
男は璃緒の顔を見て頷いた。彼女を間に二人の男たちは揃いぶみする。思いついたように、璃緒は学生服がやけに似合っているカオスを見つめた。
「ねえ、カオスって、いったい何歳なの?」