1 裏
ああ、誰か私の声聞いて。寂しい。動きたい。抱きしめられたい。抱きしめ返したい。助けて。
そうやって、弱音ばかり吐くのはいけない事ではないと私は思う。
私は、最近お母さんの心配する声を聞かなくなった。
今日は、仕事で何々さんがへましちゃって大変だった、起きたら一緒にお花見とかまた行きたいねとか、お母さんは信じてるからとか、私に向かって言うんだけど、私はずっと眠って夢を見ている。
通りかかった公園には錆び付いた遊具と、桜の木が隅っこに一本立っているだけの寂しいところ。住宅街から少し離れた名のない公園には一人でブランコに座っている少年がいた。
黒いランドセルを背負った少年は俯いて軽くブランコを漕ぐだけで、快活な様子はうかがえない。
「ねえ。僕。こんな所で一人で遊んでもつまらないよ」
そう声を掛けたけど少年は怪しい者を見る目でさっさといなくなってしまった。夢を見ているのに何て冷たいんだ。でも、夢を自分で操る事って私は出来ないし、これは潜在的に私が誰にも必要とされてないんだと思っているんだろうな。無意識のうちで私はそんな事を思っているのかと思うとやっぱり悲しい気持ちになる。
これは、とても長い夢なのだろう。時間の進み方もゆっくりとして少年が去った後も私はベンチに座ってずっと空を眺めていた。視界の端にうつる桜の枝からは花が咲いて夜の空に少し飾りつけをしたようだ。
私は、夢でも眠ってまだ春先だからか寒い夜をその公園で明かした。すると、次の日の夕方、少年はまたもトボトボとした足取りでこの公園にやってきた。私の今の気持ちがまるで少年と重なっている気がして、少年に声を掛けた。
最初こそは怪しい奴だと思われていたのに、どうしてだか少年は私に懐いてくれた。
「なあ。ミッキーはさ。俺より早く公園にいるけど学校は?」
「ああ学校ね」
私は、見下ろして自分の姿を確認すると制服を着ている事に気づいた。
「行ってたよ学校」
今日も学校を行ってたよとも取れるし、行ってたけど今は行ってないともとれる曖昧な答えだったけど、少年はそれ以上聞いて来なかった。
「俺小学生だから良く分かんないけど、ミッキーは学校で何勉強してんだ?」
「色々!小学校より難しい勉強かな。英語とかは学校でまだ習わないでしょ?そういうの」
「でも、たまに外国人が来てABCは習うけどな」
「あ~そういえば私も習ったな」
ミッキーこれやるよと少年はランドセルから取り出した桜の枝を突き出した。
「君。これ折ったの?」
「まさか!!俺じゃないよ。クラスの奴が折ったんだ」
「酷い事をするもんだね」
私は、無残にも手折られた桜の枝を優しく受け取った。子供は虫をふんずけても何も思わない。でも、ふんずけてはならないと決めたのは人間で大人達だ。弱い者はいじめちゃいけないという固定観念からくるもので、弱肉強食の世界では強い者が弱い者を狩るということは日常茶飯事で人間でいう弱い者いじめというものは存在しない。だから、これを手折った子も大人が勝手に植え付けたルールと言うものがまだ確立してなくて、この世界をどうにでもできる自由な存在なんじゃないかなって思う。
酷い事と無意識に言ったけれど、私はもう大人の手の内にある存在で彼らとは大分違うのだと思い知らされた。
ねえと少年に問いかけると、何?とくりくりした可愛らしい目をこちらに向けてくる少年に胸が少しときめいた。母性本能というものは子がいない私にも備わっているものなんだろう。
「この桜の枝を見てどう思う?」
少年はううと唸ってからそんな事急に考えたりしないよと返ってきた。それもそうだ。私だって、桜の枝が折れて道端に転がっていても、ああ折れてる位しか思わないし、それが何故折れてるのか、誰かが折ったのかとそれまでの経緯を深く追求することはない。でも、これは私の夢の中で時間は永遠ともいえる。
「私もこれが落ちてたらただ見て見ぬふりをしてるかもしれないな。どうして拾ってきたの?」
「だって、もう折れてるだろ。渡辺が折ってそのまま捨てたから俺が貰ってきただけ」
「どうして?」
少年はえっと驚いて照れたように言う。
「ミッキーにあげたくて…」
「ありがとう」
真っ赤な顔でそっぽを向いた少年に、そういう時はどういたしましてって言うんだよ。
「私はこの枝を見て可哀想って思うんだけど君は?」
「俺は…そんなこと思ってなかったかも…でもミッキーが言うなら可哀想かもしれない」
「なんとも思わなくてもいい気がする。その方が簡単だね」
ミッキーはいつも難しい事ばっかり言うよなと言って少年は胡坐を描いた足に肘を乗せて顔を支えた。
「難しいかな?ようは、枝を折ると木が痛いから可哀想と思うのもいいし、ああ折れてる枝だなって思うのもいいって事。私もどっちとも思うんだけど折ると可哀想っていう風に教わって、もうそれが抜けないんだ。君は選択できるって事だよ。何にもとらわれないで自由に思っていいってこと。君はどっちがいい?」
少年はまたううと唸り声を上げて体を捩じるとベンチに背を預けた。
「俺は、桜の邪魔したくないから折らない事にするよ。木は喋んないけど、こいつは生きてるからさ」
にひひひと笑って私を見るこの子は本当に真っ白で、こういう風に私が考えてない事を言う。だから、可愛くて夢だとしてもこの時間が凄く大切だと思っている。
木に同情して可哀想と思うわけでもなく、ただ無残に手折られた枝を素通りするわけでもなく、桜の木の運命を受け入れて少し離れた所から応援すると言うんだ。
「私、君の言ったことに賛成~!」
「まじか!やったね」
他愛もない事で、二人で悩んで笑って答えを出す作業は楽しくて少年がこの公園に来て時間はゆっくり流れる気もするけど光よりも早く過ぎ去っていく気もする。だから、少年が家に帰るとき私は必ず、またねと言って少年はまたねと返しくれる。少年も私との時間を楽しんでくれているんだと思える。