七
庭に出た。眺めのよい、見ていて心和むような庭なのだろう。だが、今、それは目に入っても、心には映らない。
「アグラーヤ、俺の言いたいことが判るか」
俺の腕に添えていた手を離し、アグラーヤは真正面から俺を見た。何も言わず、一つ肯いた。
「アグラーヤ、あの娘は、アガーテは、あの時の俺たちの娘なのだろう?」
遂に口にしてしまった。アグラーヤは平静を失わない。
「そうよ。スタルンベルク湖畔の宿でご一緒した時の。覚えていてくださって嬉しいわ」
仮初の情事のつもりが予期せぬ結果を生んだからといって、アグラーヤと過した時間を忘れる訳がない。アグラーヤ、それとも忘れてしまいたかったのは貴女の方なのか。
「俺が結婚しないと言っていたからか? 俺をとんだ薄情者してくれた」
ああ、あの時と同じく俺はろくでもない台詞を喋っている。彼の女をここで責めても意味がない。責められるべきは俺なのだから。しかし、今まで何も知らせずに通してきたことに怒ってもいいはずだ。
「違います。一人でも生きていくと決めた自分の意思からです。確かに貴方の足枷にはなりたくなかった。でも、わたしも子どもの為に立ち止まりたくなかった。
だから、アガーテは貴方とわたしの子どもかも知れませんが、今はアレクサンドラとダーフィトの子どもです。家族の内でそう取り決めました。貴方は父親の責任を感じる必要はないのです」
アグラーヤの力強さに比して、俺は踏みつけられた雑草のようだ。
「どうして今頃?」
「いいえ、貴方には知らせる気はなかったの。あの二人をダーフィトの屋敷に置いたままでは大騒ぎになって、屋敷の者たちが手を焼くから連れてきていただけで、ギルベルトが飛び込んでこなければ、貴方に会わせなかった。貴方を驚かせてごめんなさい、謝ります」
アグラーヤが謝ることではない。
突然、娘の存在を知って落ち着かなくなっているだけだ。
「受胎告知の驚愕はこんなものではなかっただろうな」
「貴方は男性じゃないですか。お腹にお宿りはありませんよ」
可笑しくなってきた。確かに男は種を蒔いても実りを体で実感できない。子を宿し、産み育てる体を持つのは女性の方だ。その女性のアグラーヤの方がしゃんと現実を受け止めて、家族を巻き込んでだが、対処してきている。
アレクサンドラやホルバイン子爵に似ていない、重い色の髪と緑色の瞳のおでこの娘。アガーテを身近で見てみたい、抱き締めてみたい、そうしなければいけないと、どこかで焦っている。先刻瞠目してアガーテを見詰めた時のように、そしてアグラーヤが言ったとおりに自分の娘なら、自分に似た所、そして自分にしか感じ取れない何かがあるはずだと。
結婚しない、家族を持ちたくないと主張し続けていたくせに、子どもがいると教えられて親として振る舞えるかと、考えはじめる自分が矮小に見えてくる。
所詮俺は俗物か。
ハーゼルブルグ子爵やホルバイン子爵との間でどう取り決められたのか。まずはアグラーヤに尋ねなければ。何といっても彼の女はアガーテの実の母だ。
蔓薔薇がアーチに絡みつき、薄い桃色の小さな花が幾つも咲いているのに、やっと気付いた。深呼吸すると、薔薇の香りを感じた。




