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君影草  作者: 惠美子
第十三章 昴、伯林、そして……
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 紅茶が濃いので少しお湯を注したいと希望を述べると、クリームはいかがと子爵夫人が答えた。

「香りが良いようですから、クリームを入れない方がよいかと思いました」

「まあ、やはりお茶にお詳しいのね。インドの高地の産のお茶だそうですわ」

 茶器を回してお湯を注してもらった。インドの高地だと、ダージリンとかいう場所の茶葉だな。香りがいいが、確か色が薄い紅茶だと記憶している。お茶の色が薄いとやたらと濃く淹れた所為か。クリームを入れてもいいのだろうが、香りの点では好みがはっきりと分れるだろう。

 渋さはティーサンドや甘ったるい食材で中和される。ゆっくりといただこう。

 ハーゼルブルグ子爵やホルバイン子爵は伯林に何度か行った経験があると、その話が出た。親戚や友人宅を回る旅行程度で仕事がらみではないとのことだ。

 面白いのは、二女アデライーダの夫がハノーファーの伯爵で、プロイセンとの折衝を行うために夫婦で伯林に滞在しているとのことだ。社交の為に夫婦で参加しなくてはならない場もあるだろうからと、仲がどうと言い争うよりも、お互い故郷の利益になるよう働こうと意見が一致したそうだ。目的を一にできるのなら、ともにいるのも悪くないのだろう。もし、機会があるのなら娘婿のローデンブルク伯爵に紹介状を書いておこうとハーゼルブルグ子爵は実に気前がよろしい。

 後はプロイセンでは確か男爵の某が外交官として活躍しているとか、陸軍大臣のローンは宰相と組んで国王への進言を多く受け入れてもらっている、ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵は鉱山を所有し、莫大な財産をもって巴里で豪遊しているなどなど、実際に貴族の口から聞かされると面白い話となり、活きてくる。鉄鋼王クルップがプロイセンの軍備を担っている実情のほかに、そういった鉱山主がいて、遊び歩くだけでなく、方々の資源のある場所を、他国であるのを問わずに買い漁ろうとしている話は、優雅に過すだけが爵位のある貴族ではないと感心する。

 こちらは子爵たちに提供できるような話題が少ない。退屈させないよう、軍隊内のちょっとした笑い話をして聞かせた。勿論貴婦人にお聞かせできる内容の範囲内でだ。

 和やかさを保ちながら時間を過していると、応接間の扉がいきなり開かれた。金髪の巻毛の男の子がいた。昔、転んで泣いていた小僧が大きくなったか。

「お母様」

「ギルベルト、お客様がいらっしゃるのですから、お部屋にいらっしゃい」

 アレクサンドラがたしなめた。

「アガーテがおかあさま、おかあさまとうるさいんだ」

 ギルベルトの後から、黒髪で緑色の瞳の幼い女の子が顔を出した。覚束ないような足取りで、今にも泣き出しそうだ。アグラーヤが腰を浮かしかけた。

「おかあちゃまがいないのいや」

 たどたどしいが、愛らしい口調で訴えて、金髪の小僧にくっついた。小僧は邪魔そうに女の子を見るが、邪険に離そうとはしない。

「乳母やはどうしたの? 遊んでくれないの?」

 アレクサンドラはアグラーヤを制して、席を立って子どもたちに歩み寄った。

「アガーテが人形と道具をひっくり返したから、片付けをしている。だから出てきたの」

 実に正直な言動である。困ったわね、とアレクサンドラは子どもたちに手を回した。

 俺は目を見開いた。アレクサンドラは金髪、夫のホルバインは明るい栗色の――というより金褐色に近い色――の髪、ギルベルトは金髪の巻毛、しかし、このアガーテという女の子の髪は重い色だ。ギルベルトの妹なのか? それともこの場にいないアデライーダの娘なのか?

「大人しく座っているから一緒にいては駄目なの? アガーテはすぐ泣くから嫌なんだ」

「妹にそんなことを言ってはいけませんよ」

 妹……。やはりホルバイン夫妻の娘なのか。

「ギルはすぐ遊んでくれないの。乳母やよりおかあちゃまがいい」

 アレクサンドラは女の子を抱き締めた。いつまでもおかあちゃまと言っていては立派な大人になれないのよなどとなだめていたが、やがてこちらを向いた。

「子どもたちを部屋に連れていって少し相手をしてきます。あなた、お父様、アレティンさま、中座いたします。申し訳ございません」

 アレクサンドラは子どもたちを連れて応接間を出ていった。

「いや、こちらこそ騒がしくて申し訳ない。女の子が可愛いと妻が甘やかすから、側にいてやらないとすぐに大騒ぎをするんです。子どもから目を離す乳母にも困ったものだ」

 そう取り繕うようにホルバイン子爵は苦笑いをしながら言った。

「いいえ、アレクサンドラはアガーテに良くしてくれていますわ。お義兄様だってそう、だからそんな風に仰言らないで」

 心なしかアグラーヤの口調がぎこちない。俺はふとアグラーヤに視線を向けた。彼の女はうつむいていた。

 ハーゼルブルグ子爵が咳ばらいをした。

 一瞬天使が通り過ぎたかのような沈黙。

 気が付くと、ハーゼルブルグ子爵夫人が俺を見ていた。

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