三
貴族は耳聡い。アンドレーアスにも伯林への出向は伝えていたから、そこからアグラーヤ、次にハーゼルブルグ子爵に伝わったのだろう。アグラーヤが父親に頼んでの便りなのかも知れないが、一応は栄転の士官に挨拶しておこうと思惑の可能性がある。
「ご苦労」
と便りを受け取った。
便りには、やはり伯林への栄転を祝う言葉と、一度縁あったのだから今後も友誼を持ちたい。ささやかながら明日自邸で茶会の席を設けたいのでどうかと書かれていた。お忙しいのは承知しているので気取らずに行いたいと。
出立を控えた俺に晩餐や夜会と持ち掛けないだけ考えてくれているのだろう。午餐や茶会なら時間を食わず、酒も控え気味、これなら招待に応じやすいと。
アグラーヤに会えるのなら悪くないが、いるだろうか。夫と仲が悪いと聞く二女しかいなかったら気が重いが、アグラーヤに会えなくても最近の消息を家族から聞けるのならいいだろう。
喜んで伺うと返事をしたためた。お嬢様方はお元気ですかと末尾に添えた。封をしてディナスに子爵への返事だ、明日の茶会の誘いに応じるとの返事だから急ぐようにと命じた。かしこまりましたと言い、ディナスはでは服を選んでおかなくては、付け加えた。
「軍礼服で行く」
「かしこまりました。カレンブルクの服ですか?」
葬式に行くのではないのだ。
「プロイセンの軍礼服だ。まず先に返事を出しておいてくれ」
「承知しました」
ディナスは下がっていった。
服や靴、小物を揃えて洒落てみるのは嫌いではない。軍隊生活をしているとはいえ、普段着のほか、社交用の服を持っている。子爵に下手な私情を持ち込まれたくない気分もある。なんどきでも軍服で通せるのは便利である。
翌日、ハーゼルブルグ邸に赴いた。
この一家の面々バイエルンのスタルンベルク湖畔の街、フェルダフィンクで出会ったのが1862年の夏の休暇中であったのだから、あれから五年近く経過している。とんだ友誼もあったものだ。向こうは向こうで伯林に行く士官に自分を印象付けておきたい意図があるのだろうし、こちらも貴族同士の付き合いで、伯林で何か有利になる情報が聞き出せないかと考えているのだから、お互い様だろう。
玄関ホールに入ると、執事から来訪を告げられたハーゼルブルグ子爵と娘婿のホルバイン子爵が出てきた。二人ともにこやかだった。俺も社交用の顔を作る。
「お久し振りです、ご機嫌よろしう、ハーゼルブルグ子爵、ホルバイン子爵。長年無沙汰をしておりましたが、こうしてお招きいただき光栄です」
「ご機嫌よう、アレティン中尉。こちらこそ長くお会いしていなかったが、息災で何より」
「ご機嫌よう。南部軍団ではハノーファー軍と共に戦われたと聞いております。無事な姿でお会いできて嬉しいです」
握手をしながら、ハーゼルブルグ子爵やホルバイン子爵の経た歳月を探った。それぞれ年齢を重ねてきている。ハーゼルブルグ子爵は五年前も白髪だったが、また老けたようだ。ホルバイン子爵は元々柔和な印象の人物であり、それは変わっていない。笑った時目元や口元に皺があっただろうか、しかし、古い記憶を辿れない。
軍人でないし、文官としても重い役職ではなかったであろう二人は、敗戦の報を聞き、爵位や領地の安堵の為に慌てたかも知れない。プロイセンの政策に迎合して、身の安全を図ろうとしていただろう。プロイセンの貴族や商人と多少の縁故があればそれを曲芸のように最大限利用して、しかし体面を保つ。古い帽子を宝とし、それが明日のパンや衣服を生むと信じているのだから貴族は身の処し方が大変だ。
それが当然、常識であると長年過してきていると、急に生き方を変えられない。ハーゼルブルグ子爵はともかく、ホルバイン子爵はこれまでと同じ生き方しかできないのかどうか、知りたいものだ。
「妻や娘たちもぜひ貴官に会いたいと願っているので、こちらへ」
とハーゼルブルグ子爵は俺を応接間に案内した。
応接間には、ハーゼルブルグ子爵夫人、ホルバイン子爵夫人、アグラーヤがいた。アデライーダがいない。いても顔を覚えていないか。二女がいないことで、俺は安心した。




