九
俺の表情をどう読んだのか、シューマッハはカトラリーを置いた。
「気になるようだな。バイエルン国王と違って、フリース少将は女より男が好きって人間ではないから大丈夫さ」
つい眉を寄せてしまった。
「大丈夫の意味が違うと思うのだが……」
冗談だと、シューマッハは笑う。
「バイエルン国王は独身だが、それはまだ二十一、二歳と若いだからだろう? そんな噂があるのか?」
知らなかったのかといった感じで、話が続いた。
「噂も何も……、即位前からお気に入りの廷臣や武官がいて側から離さなかったと聞いている。顔立ちのいい青年ばかりだと」
バイエルン国王の母親はプロイセン王女だ。それに外交官の耳目も鼻も常人とは違うものを見付けてくる。それくらいは上層部や軍部の一部では常識なのだろう。
「貴官がバイエルンの駐在武官になれば目の当たりにするだろうよ。それとも貴官がお気に入りになれるかも知れない」
それこそ悪い冗談だ。かつての敵国の人間が外交官にくっ付いていっての駐在武官になれると思っているのだろうか。
「バイエルン国王は顔立ちのいい青年が好きだと言っただろう?」
「それこそ貴族出身の外交官がやる寝技だ。軍人の役目ではない」
「国王の好みは金髪の美青年らしいからな」
髭剃り後の男振りの良さを認めてくれたはいいが、高貴の寵を受けるよう命じられるのは困る。俺の髪は黒くてさいわいだ。
言ったことに自分でも失敗したと感じているのか、シューマッハは苦笑していた。
「怒ったか?」
「いいや、ルートヴィヒ2世の好みはさておき、駐在武官とは現実味のない話だと思った」
「そうかな? 貴官は後方支援や情報収集を軽視していない。むしろそれを基にしての作戦立案を重視している人物のようだ。カレンブルク出身の士官だからと前線にただ置いていていいかは、まあ上の判断だが、俺は実戦以外でも貴官は働けると感じた。
駐在武官が護衛や見張りの飾りではないのは判るだろう?」
そう、飾りではない。
「この場では有難う、と言っておこう。だが、貴官は人事権があるのか?」
「ないね。しかし、出張ついでにどんな人物がいたか報告はできる。さしたる力はないがね、人材についての話を聞きたいというエライさんもいるから」
「エライさん?」
「エライさんはエライさん。あまり期待しないでくれ」
「ああ」
食事の席での与太程度にしておこう。
「エライさんといえば、宰相閣下は相変わらず忙しいのか?」
ビスマルクは事後承諾法案を議会に、カレンブルク、ハノーファー、ヘッセン、ナッサウとフランクフルトをプロイセンと併合させる併合法を下院に、矢継ぎ早に提案し、承認、または可決されている。事前の準備があったのだろうが、実際に法案を通して形にし、施行するまでに持っていくのは、文官といえどもかなりの重労働のはずだ。なにしろ大勢の人間を砲撃でなぎ倒すのではなく、弁舌で説得し、法案の草稿を吟味させていく。悪ガキ相手の教師より骨が折れそうだ。
シューマッハはあっさりと告げた。
「宰相閣下は過労でひっくり返った」
はい?
「俺にバラしていいのか」
「しばらくの休養とちゃんと公のニュースで伝わっているから構わんさ」
シューマッハの言葉に拍子抜けしたが、あの血の気の多い宰相も結構なお歳だ。普通の人間であると証明されて良かったことだ。
「短期間のうちの戦後処理や周辺諸国への折衝、数々の法案提出のご苦労で、遂に神経痛がひどくなって仕事ができなくなったそうだ」
「五十を過ぎていたよな」
「ああ、五十一歳だったかな。バルト海近くの別荘でしばらく静養するそうだ。宰相閣下くらい偉いと、それくらいの休養が認められる。そこまでして自分は働かなくていいというか、別荘をお持ちで羨ましいというか」
ふんと笑いたくなる。
「金貨やエメラルドを山と積まれても、体が幾つあっても足りないような働き方はしたくないな」
「それは言えている」
このまま快癒せずに静養先で宰相閣下が亡くなってくれても一向に構わないと思うのは俺ばかりではなかろう。しかし、ここまでドイツ諸邦を引きずり回してくれたのだ。事態の収拾がつかないまま天に召されるのは無責任だろう。ニコルスブルグの仮条約が本条約になったのだ、北ドイツ連邦のきちんとした治世が行き届くようになるまで、死んでいった者の分も働いてくれ。
「静養は本当だろうが、その上で、雑音の入らない場所でまた何か企んでおられるのは確かだろう」
おや、油断のならぬ言葉だ。