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君影草  作者: 惠美子
第十一章 プロイセンの青
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 シュルツから何軒かの店を教えてもらって、シューマッハ中尉に連絡を取った。シューマッハ中尉はカードなどの賭け事をするような騒がしい場所よりも、ゆったりと食事ができる店がよいと希望していた。それならここだなと気取った店に決め、プロイセン軍が接収した宿に赴いた。

 宿にいる従卒に用件を伝え、待っているとすぐにシューマッハが現れた。

「やあ、今晩は、アレティン中尉」

「今晩は、シューマッハ中尉」

 相変わらず、気さくそうに声を掛けてくける。

「騒がしい場所はお嫌いと伺ったので、静かな店にした。といっても、俺も首都勤務の長い同期に教えられたから初めて行く店だ」

「素晴らしくお上品な方々しか来ないような、お作法にうるさい店かな?」

「さて、将校方のご家族くらいはいるかも知れんが、王侯貴族が店で食事をするものではないから、気にすることはない。

 お互い制服組らしくしていればいいのさ」

 近い場所なので、徒歩でその店に入った。「エレクトラ」と夜空から姿を消したと言われるプレアデス姉妹の一人の名を取った料理店だ。

 迎え出た給仕に予約の旨を伝えると、席に案内してくれた。

「成程、いい店だ。エーファをこんな雰囲気の店に連れてきたいものだ」

 はて、と視線を向けると、女房の名前だとシューマッハは照れ笑いを見せた。やれやれ、ここでも妻の話を聞かさせるだろうか。

「貴官は独身だったか? 将来は身を固めたいと考えている方か、それとも独身主義かな?」

「主義ってものではないが、結婚しようとは思わない」

「人それぞれだ。一人でも充実している奴はいる。

 貴官は『フォン』と付くのだから貴族なのだろう? うるさい親戚はいないのか?」

「貴族といったところで、祖父の代に幾らかの戦功と多額の寄付で得た飾りの称号だ。何代も続くようなお家柄じゃない」

「貴族じゃなくても何代も続く家はあるさ」

 それは否定しない。記録に残っていないだけで、誰だって先祖はいるのだ。

「かくいう俺の家だって、何代か前から指物師をやっていた」

 職人の家の出か。

「そっちこそ後を継げと言われなかったのか?」

「兄の腕がいいから、俺は好きにしろと言われていた。職人としては見込みがないと判断されたらしい。だから、医者になるには無理そうだから、手に職付ける手段で士官学校に入った」

 面白いことを言う奴だ。

「工場ができて、そこで働いて、決まった給料が出る生活が街中で始まっただろう? 職人の親方の許で修行して、何年かは親方の知り合いの店を回ってお礼奉公をしてって暮らしをするよりはと、弟子入りが減ってきている。

 徒弟でこき使われるよりも、工場で定期的に賃金をもらう方がマシなように見えるのさ。こき使われるのは同じでも、病気になったら親方は心配して面倒見てやるのに、工場では辞めさせて、放り出してしまうというのに。たつきの道とは難しい。

 実家の余裕の無さを見越して、腕の悪い息子は無駄飯食いにならないうちに、家を出た訳だ」

 筋が通った考え方と言うべきか。

「軍でも輜重隊で良かった……のか?」

「ああ、そうだとも」

 とシューマッハは肯いた。戦場で会った時もそうだが、皮肉と取ったり、裏読みなどしたりしないようだ。もしかしたら胸の内では心を騒がしているのかも知れないが、表情には一切見せない。シュルツの言うように裏表のない性格をしているのか。その逆だとしたら大した役者ぶりとなる。

 だが、どうしてもこの男には警戒心を抱けない。どこがどうとは説明できないが、正直で良識ある人物と安心できる気がする。

「貴官は戦の前、南部軍団ではどう過ごしていた?」

 どうといってもどこの軍でも変わりばえはあるまい。ただ、参謀役のリース大佐とよく語り合っていた話をした。シューマッハは実に興味深そうに聞いていた。

「貴官は前線に出ていたから、参謀や輜重など重視しないかと思っていたがそうでもないようだ」

「プロイセン軍の活躍を聞けば無関心ではいられんさ。地理の把握や情報収集、そして兵士や物資の移動の速さ。無視できん。

 ランゲンザルツァでは勝っていたんだ。それを一晩で再び囲まれては、降伏せざるを得ないだろう」

「輜重隊など後ろを付いてくるだけの臆病者と言う奴もいる」

「弾薬が切れたら、ただの銃剣突撃しかできないし、ろくに食事もできない状態で次の日も戦えと命じられても、従う奴がいるかね」

 もっともだとシューマッハは破顔した。

「貴官は面白い。

 ああ、それにフリース少将が貴官のことを憶えていて、きちんとレヴァンドフスキ伯爵家に報告したそうだ」

 俺のしたことなど息子の戦死報告に付け加えるほどのことでもないだろう。

「おかしな顔をしないでくれ。貴官は目を付けられたのかも知れないぞ」

 頭を捻りたくなった。軍人を続ける上で、これはいいことなのか悪いことなのか。俺の気も知らず、シューマッハ中尉は機嫌よさげに食事を続けた。

 産業革命以降、工場労働者の労働環境の劣悪さは社会問題になっていました。しかし、改善はまだまだです。マルクスが『資本論』の第一巻を刊行するのは翌年の1867年。

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