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君影草  作者: 惠美子
第十一章 プロイセンの青
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 ディナスが淹れてくれたお茶の香りを聞きながら、アンドレーアスからの便りを読み返す。


 ――こちらでは上手くやっている。


 そう手紙に記しているから、アンドレーアスは当分昴(プレヤデン)に帰ってこないだろう。戦いの前に久方振りに会い、まだ懐かしい気持ちが残っている。アンドレーアスに会いたい。しかし、あいつもまた商売や投機という大きな勝負事の最中だ。巴里の株式市場とやらも時期を逃せば損失が出る。俺の感傷は無理に呼び戻す理由にならない。

 シュルツだとて、妻の許に夜毎伝書鳩のように帰宅するものでもあるまい。たまには俺に付き合って飲みに行くくらいしてくれるだろう。シューマッハ中尉とはまた話がしてみたい。それに事務方でもプロイセン軍の様子を訊いてみるのも悪くないはずだ。

 南部軍団の連中、ブルックやミューラー、ヨハンセン、ヴァイゲル少佐、リース大佐、ホップ伍長、シュテヒリング中将。どうしているだろうか。ブルック宛に手紙を書いてみたが返事が来ず、公表される軍の情報では何も伝わってこない。

 アンドレーアスは会ってやれと書き綴ってきたが、アグラーヤは……。

 ハーゼルブルグ子爵や娘婿のホルバイン子爵は武官ではなかった。かといって宮廷で権勢を振るうほどの実力者でもなかった。プロイセン側が穏やかな併合を望んでいるなら――プロイセン貴族との格差は設けられるだろうが――、今回の戦争で目立った動きの無かったこの二つの家のような貴族たちの爵位や財産の全てを没収とまではいかないはずだ。アレティン家の騎士の称号がなくなっても、父の遺した商会や俺の軍人の地位は変わらないが、代々の貴族にとって称号は命のようなものだ。古い帽子程度の意味しかないものであっても、誇りの源泉。安堵されると聞かされれば、ホーエンツォレルン家のヴィルヘルム1世に黙って頭を垂れるであろう。

 かつてポーランド貴族と行動を共にしていたアグラーヤがどんな気持ちでいるのか、想像できない。亡国の憂き目をかなりの脚色で聞かされていただろうが、それが我が国、我が家に降りかかってきての嘆きはどれほどのものであろう。それまで安穏とした生き方ではなく、自立を目指すと気丈にしていた彼の女、フランクフルトでの騒擾を目の当たりにして、深く傷ついているのではなかろうか。

 だが、会ったところで掛けてやる言葉がない。女性とお茶とお菓子の会話で慰めようがない。淑女相手に痛飲する訳にもいかない。

 アグラーヤと初めて出会ったのが士官学校に入る直前だったから、あれから十年経ったのだ。アンドレーアスと一緒に面会した時も、仕事でやつれることなく、知性的な美しさは変わりなかった。

 俺はアグラーヤと会うのをおそれている。言葉もなく、また肌を求めてしまうのではないかと。

 これまでの事情は色々あったが、アグラーヤは情婦のように扱ってよい女性ではない。この時期の身の処し方を子爵家は子爵家で考えているかも知れないのだ。プロイセン貴族との縁談が出てくる可能性があるのに、俺のような身分の男が身辺にいていいはずがない。

 なにより俺には結婚の意思がない。

 アグラーヤには親しみを感じているが、愛情やいたわり合いの意味の判らぬ軍人が近付いていい女性ではない。独立した生き方を尊重する相手と説明しようが、世間はそう見まいし、俺もアグラーヤの容姿に惑いを感じる。

 答えの出ない考えに時間を取られていると、来てほしくない便りが来た。

 アグラーヤからの面会の申し込みだ。

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