三
軍服で身を正して出向いても成果なしで、気が抜けた。自宅に戻って、さっさと上着に手を掛けた。ディナスが出迎えの言葉を掛けながら、上着を脱ぐのを手伝い、上着を受け取った。
「旦那様、如何でございましたか?」
「まだ尉官程度の辞令を出すどころではないらしい。自宅待機が続く」
ディナスもいくばくかの失望を感じたようだ。歩みが一歩遅れた。
「庭木を痛めるのはおやめください」
「もうしない」
「ご酒もなるべくお控えに」
「酔うほど飲まないから大丈夫だ」
「旦那様」
これ以上なんだ。俺は足を止めた。
「甥から手紙が届いています」
「俺にだけか? ディナスには?」
「私宛てにもございましたが、元気にやっているから心配は無用だとしか書いておりませんでした」
叔父宛てにはそれくらいしか知らせる気にならないのだろう。ディナスとは違う生き方を充実させている男だ。それに、細々と様子を書き綴っていたからといって執事は私信の内容を知らせない。
「着替えたらすぐに読もう」
「はい、そのように準備いたします」
自室に入り着替えを終えると、軍服を片付けてディナスは部屋を出た。椅子に掛けていると、ディナスが改めてアンドレーアスからの手紙を持ってきた。盆の手紙に手を伸ばしながら、俺はディナスに言った。
「外から戻って喉が渇いた。何か飲み物を……」
ディナスの目付きに俺は続けた。
「薄く淹れた紅茶に、菩提樹の葉で香りづけしたものを頼めるか?」
安心したようにディナスは肯った。
「かしこまりました、旦那様、すぐにご用意します」
香りを付けたお茶など伯母の家で飲むくらいだったが、久々にいいだろう。俺はアンドレーアスからの手紙を広げた。
「親愛なるオスカー
こちらでは上手くやっている。心配するな。
フランクフルトにプロイセン軍が侵攻してきた時には肝を冷やした。それなりに騒ぎがあり、迂闊に外には出られない状況が続き、情報を得るのが大変だった。
なにせただ占領するだけでなく、プロイセン軍は食料や衣料など消耗品を買い取るのではなく、徴用すると供出させようとするのだから、当然渋る。大人しく従った方がいいと思っても丸裸にされてはたまらない、だが、少しだけ出してみても相手が満足する訳がない。プロイセン軍は具体的に幾ら出せと金額を出してきて、相当市議会や商工会はもめたらしい。現地調達なんぞローマ帝国末期の民族大移動時代のものだろう。
アレティン商会も俺様もローンフェルト氏もフランクフルトが本拠でない分まだましな方だろう。
ローンフェルト夫妻は昴に戻る。ハーゼルブルグ先生も一緒だ。先生に会ってやれ。
叔父貴の話では怪我をしたそうだが、深刻なものではないそうじゃないか。再会すればまた気持ちが落ち着くものだろう。
友情をこめて アンドレーアス・ディナス」
プロイセン軍の悪口をもっと書き込みたかったようだが、控えたらしい。
供出を拒むフランクフルトの富裕層にプロイセン軍は強硬な態度で交渉したと聞きおよんでいる。目の当たりしたアンドレーアスたちには傍若無人と映っただろう。どれだけの不安に襲われたか知れない。
ローマ帝国を崩壊させた蛮族の頃から、俺たちは進化していないのだろう。太陽の下で何も新しいことは起こらず、だ。




