当時の欧州の主な国々の君主(1866年当時)
かなり大雑把です。
ハノーファー王国
ゲオルク5世(47歳)、イングランドのヴィクトリア女王の同年の従兄。イングランドのカンバーランド公爵の地位も併せ持つ。幼少時の病気や怪我がもとで視力を失う。普墺戦争の結果の王国のプロイセン併合を最後まで認めなかった。
プロイセン王国
ヴィルヘルム1世(69歳)、兄フリードリッヒ・ヴィルヘルム4世の死去により1861年に登極。後の初代ドイツ皇帝。
王太子で後のドイツ皇帝フリードリヒ3世(34歳)はヴィクトリア女王の長女ヴィクトリア・アデレイドを妻としている。
宰相ビスマルクは51歳、前年伯爵に叙される。総参謀長モルトケは66歳。
バイエルン王国
ルードヴィヒ2世(21歳)、1864年父マクシミリアン2世の後を継いで即位。母はプロイセン王女マリア。この頃はまだ長身の美男。内政や外交よりもワーグナーの音楽に夢中になっていた。
オーストリア帝国
フランツ・ヨーゼフ1世(36歳)は、1848年に伯父のフェルディナント1世の退位から父のフランツ・カール大公を越え即位。エリザベート皇妃(28歳)はバイエルンのヴィッテルスバッハ公爵の公女。皇太子ルドルフは8歳。
フランツ・ヨーゼフの次弟マクシミリアン(34歳)はメキシコ皇帝、妻のシャルロッテはベルギー王女。三弟カール・ルードヴィヒ大公の息子フランツ・フェディナントはまだ2歳。
フランス帝国
ナポレオン3世(58歳)、皇后ウージェニー(40歳)、皇太子ウージェーヌは10歳。ナポレオン3世はナポレオン・ボナパルトの甥。1848年選挙でフランス大統領に就任、クー・デタにより1852年皇帝に即位。セーヌ県知事オスマンとともに、人口過密で環境の悪化した巴里の大改造を行う。
ナポレオン1世の妻ジョゼフィーヌの頃は革命後の開放的な世相からコルセットで締め付けない、薄物のチュニックドレスが流行していたが、ウージェニーの頃はコルセットでウェストを締め付け、スカートの下に鳥籠のような金具を使うクリノリンが流行。大スカート主義の時代。
イングランド王国
ヴィクトリア女王(47歳)、ゲオルク5世の従妹。夫でザクセン・コ―ルブルク・ゴータ公子のアルバートは5年前に病没。
王太子はエドワード(24歳、後のエドワード7世)で、デンマーク王女アレクサンドラと3年前に結婚。
デンマーク王国
クリスティアン9世。元々デンマーク王族の血筋であるが、前王フレゼリク7世の姪の配偶者であり、女系からの登極ゆえに男系からの王位を主張するアウグステンブルク公爵フリードリヒがシュレスヴィヒとホルシュタインの二つの公国の君主権を主張し、1863年のデンマーク戦争の端緒となった。クリスティアン9世はイングランドの王太子妃、ロシアの皇太子妃の父親。
ロシア帝国
アレクサンドル2世(48歳)。ロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世の祖父。
スペイン王国
イザベル2世。カルロス2世の死でスペイン・ハクスブルグ家が絶え、その後フランスのルイ14世とスペイン王女との婚姻が縁でその孫がスペイン王位を継ぎ、ナポレオン1世の時代以外は、ブルボン系の血筋。
オランダ王国
ウィレム3世。この頃オランダとルクセンブルク大公国は同君連合で、オランダ国王はルクセンブルク大公も兼ねる。