四
「あいつがカトリック教徒だからとか、いまだにポーランド人であるのを誇りにしているとかが理由じゃない。父祖の代からの信仰や故郷を思う心を持ち続けるのは間違っていないとは感じるさ」
シューマッハ中尉はそう前置きした。戦闘や政争で犠牲になった者を嗤うような人間ではなさそうだ。
「士官学校では貴族や郷紳出身ばかりじゃない。俺みたいな平民出身も増えた。出身階層はそれぞれでも、仲良くするものさ。でも仲良くなれそうもない方々もいる。あいつはその類いだ。
卒業してお互い大尉になった頃、伯林で同じ守備部隊に所属していた。あいつは一人の大部屋女優に目を付けた。ああいうご身分の人間には、まだ若くて芽の出てない大部屋女優なんざ人類最古の職業と同じなんだろう。その女優の同意も何もなく、攫って二日間馬車で休暇に出掛けちまった。
その後、その女優の後援者になるならともかく、詰まらない旅行だったと言わんばかりに見向きもしなくなったので、俺があいつを殴り飛ばした」
「決闘で殴るのは珍しい」
「決闘なんて順番踏んでいない。一言警告してから殴った。
私闘の罰で俺は中尉に降格、あいつはお咎めなしでいつの間にか少佐になって、この度名誉の戦死だ」
「女優は貴官の知り合いなのか?」
「同じ街の出身で、すれ違えば挨拶をして天気の話をする程度だ。だが、彼の女やその家族、仲間の様子を見て、見過ごせなかった。女房もそこは判ってくれて、降格はひどいと一緒に憤ってくれたよ」
おい、女房持ちがほかの女のことで人を殴って、それでいいのか。
「寛大な奥方だな」
「元は俺より、女房の方が親しかった」
それでも配偶者の降格にまでなるなら、普通妻は夫の行動と女優を恨むと思うのだが、そこは夫婦の問題だ、訊かないでおこう。
「少佐は馬が驚いた拍子に落馬して、そのまま引きずられていったと聞いた」
「そのようだ。馬の様子が様子だから、近付けなかったし、少佐に当たったらと思うと誰も馬を撃てなかった」
「俺が馬を撃った時には少佐は生きていなかったようだが」
「誰にも看取られずに、気の毒なことだ」
因縁があるといいながら、シューマッハ中尉は十字を切った。単純にできてはいないが、根は善良な性格をしているのだろう。
「貴官たちはカレンブルクへ送還されるだろう。馬を制御できないようなら、ほかの負傷兵と一緒に荷車に乗せられる。『荷車の騎士』になれるんだ。楽しいだろう」
撤回しよう。
「俺はランスロットじゃない。だいたい、貴官たちは忙しいのだろう。次はどこに進軍するつもりなんだ」
「南へ、とだけ言っておく。武器の整備や兵士たちの士気次第で、多分明後日あたりには進軍を開始するだろう」
やはり南下か。こちらに援軍に来てくれなかった連邦軍の第七軍団や第八軍団を相手にするのだろう。ハノーファーとその周辺諸邦の降伏で安心せずに、二つの軍団の集結を阻止しての各個撃破に出るのか。まあ、真直ぐにザクセン王国やオーストリアに行くとは考え難いからな。
この状況下、アンドレーアスやアグラーヤはフランクフルトに留まっている可能性が高い。プロイセンの西側の領土に逃げ込むにはプロイセンの軍の進行が早すぎて、判断を付け難かったろう。市街戦になりさえしなければなんとか無事に済む。そう信じるしかない。
「シューマッハ中尉、一つ訊きたいのだが」
「なんだ?」
「レヴァンドフスキ少佐とやらはポーランドの復権運動をやっていたのか?」
「ポーランド貴族がみんなポニャトフスキ元帥みたいな人物ばかりじゃないし、そのつもりならプロイセンで軍人をやらないと思うがね。貴官は間諜の仕事もしているのか?」
ユーゼフ・ポニャトフスキときたら世代が違う。ナポレオン1世時代の元帥だろう。
ユーゼフ・ポニャトフスキは18世紀から19世紀に活躍した実在の人物です。当時のポーランド国王の甥で、ロシア、オーストリア、プロイセンの三国の度重なる領土分割と王国の消滅を体験し、そしてナポレオン・ボナパルトによるワルシャワ公国の建国、ロシア遠征に関わりました。
池田理代子の漫画『天の涯まで』はユーゼフ・ポニャトフスキが主人公となっています。




