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君影草  作者: 惠美子
第四十八章 故郷の空
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 日々達成する目標を失い、ただ体を休めるにはどうしたらいいものか、簡単なようで難しい。寝床に居続けるのはどうも(しょう)に合わない。さいわい初夏の天候は屋外で過すのによい。庭の木陰に安楽椅子を置かせて、日光浴をすると決めた。日差しや虫が気になる時は帽子で防げばいいと、自らが動き回らずともよいように準備して椅子に掛けた。せめてもと、昔読んだ本を手元に、ページを繰り、文字の羅列に目を滑らせた。内容が頭に入ってこないようで、こんな展開だったか、ここで登場人物がこんな台詞を言ったか、と思い出しか、再発見か、思いのほか時間を潰せた。

 安楽椅子を置くのは庭だったり、居間や書斎だったり、その日の日差しの具合や気分で変わった。夏至が過ぎ、七月になろうというのだ。日差しが心地よくても、日干しになる気はない。

 軍部から封書が届いた。

 今頃何か。未精算、未報告のものでもあったかと面倒に思いながら開けた。書面に目を通し、俺は大きく息を吐いた。

 ゴルツ大使が静養先のシャルロッテンブルクで亡くなった。

 確かに舌癌の術後の姿は痛ましく、回復は難しいと感じていたが、こんなに早く訃報を知ることになろうとは! まだ五十を幾つか過ぎたばかりの年齢だったのに。

 額と胸に手をやり、身動きができなくなった。

 葬儀は? お悔やみを申し上げたいが、独身だった大使に近しい親族は? と、現実的な対応が頭に浮かぶのに時間が掛かった。書面に葬儀の日取りなど詳細が載せられているのを見落とすほど取り乱した。伯林(ベルリン)に駆けつけられない我が身が不甲斐ない。今の俺にできるのはお悔やみの電報を打つくらいだ。

 巴里での仕事の数々を思い出し、ゴルツ大使の負った職責の重さを思う。煙たがられても仕方ない位置にいたのに、ビルマルクに後れを取るばかりのフランス皇帝から好意的に扱われた。今後誰が駐仏北ドイツ大使に選任されようと、同じような信頼を得られまい。情勢からいっても後釜は苦労するだろう。

 衝撃は消えがたかった。翌日以降も魂が抜けたようになって、何も手に付かず、ろくに食事も摂る気にならず、ディナスを心配させてしまった。

 庭に椅子を置かせて、木漏れ日の揺れるのをぼんやりと眺めていると、客が来たと告げられた。誰かと尋ねる前に来訪者がやってきた。

「なんだかガキの頃を思い出すな」

 アンドレーアスの声だった。振り向きもせず答えた。

「庭でうっかり昼寝をしたことがあったな」

「ああ、目が覚めたら体が冷え込んで、慌てたよな。

 加減はどうだ?」

「まあまあだ。日に晒されるのも悪くない」

 俺はやっとアンドレーアスに目を向けた。アンドレーアスの側に婦人の姿があった。彼の女とも久方ぶりだが、見間違えようがない。寒色の服に金髪をしっかりとまとめ上げた地味な装いだが、備わった気品は隠せない。立ち上がろうすると、慌てて止める素振りをしたが、そこまで衰えていない。恰好だけはつけさせてくれ。

「ご機嫌よう、フロイライン・ハーゼルブルク。フランクフルトからわざわざ?」

 ご機嫌よう、とアグラーヤは返した。

「ローンフェルトさんからあなたが巴里での下宿を引き払って、(プレヤデン)に戻ったと聞いて、アンドレーアスさんに確かめたの」

 アグラーヤから質問されたらアンドレーアスは正直に話すしかない。

「あなたのお見舞いをしたいからと、お休みをいただいたわ」

 お掛けになって、とアグラーヤは俺に勧めた。しかし婦人を立たせたまま座る訳にいかない。

「勝手知ったる屋敷だから、案内なしで来てしまったからな。

 このまま庭で? それとも中に入る?」

 ここには安楽椅子が一脚と、小物やカップを置く卓が一つ。アンドレーアスがやっと気が付いたように言った。

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