七
大使館には伯林から報せが来たかどうか確認する為に出勤する体だ。
待つ時間は長い。人事の異動はそうそう簡単に決められない事柄だ。時期でもないのだから要望を上げたばかりで返事が来ないと焦れてはいけない。判っているが気持ちが落ち着かない。
気分転換に人気の少ない場所へとリュクサンブール公園に行ってみる。まだ冬で、ところどころ雪が積もり、地面が凍っている。春は到来していない。木の枝に小さな小さな芽が見える。あとどれくらい経てば木の芽が膨らみ、緑色の葉を拡げるのだろう。
鼻の頭や頬を真っ赤にした少年たちが声を上げながら駆けていく。もう帰ると口で言いながら疲れを知らない様子の子どもと、体が冷え切って辛そうな扶育係らしい女性の組み合わせ。寒くても外気に触れたい者しかいない。俺は凍えたくないのと、体力が落とさない為にと、足早に歩いた。
曇った空にわずか光る太陽の在り処を見上げた。冷気で胸腔を充たし、体内の毒が少しでも吐き出されればと大きく息を吐いた。深呼吸を繰り返しても胸の中が洗い上げられはしない。それでも人混みでも、暖房で淀んでもない場所での空気を深く吸い込みたかった。
寄宿先に戻って暖炉に火を起こし、手先足先をあぶり、少しずつ温もりを取り戻し、生き返った気分になる。
寒いままでも、石炭や薪を焚き過ぎても、人の体は不具合を起こす。しかし生きていればどちらも避けられないし、楽しむ時だってある。どちらも失いたくないな。
部屋で取り繕うことなくソファにごろりとなる。コートや帽子、手袋はきちんと塵をはらって乾かしているのだから、散らかしていない。だらけたっていいだろう。
暖炉で薪が爆ぜる音がする以外静かだ。静けさが寂寥を自覚させる。馴染みの感情だ。人は一人。物心ついた頃から変わらない。
日が改まっても一人でいるのは同じ。体が鈍らず、疲れない程度に起きて動くのも変わらない。
大気の冷たさは変わらないが、少しずつ日が長くなっていると目覚めの度に感じ取る。起き上がる気にならなくて天井を見上げたまま、今日の日程を組み立てる。外から、屋内の廊下や階段から物音がする。
そろそろ起きるか。寝床から出ると寝汗で冷えが身に染みる。さっさとストーブを点けて着替えよう。寝汗とともに体力がこぼれ出ていっているとは思わないが、毎朝だと堪える。衣服を着替えて、次の間に行こうとしたが、足元がふらついた。
喉が渇いているし、腹も減っているからだ。何か食べてゆっくりしていれば回復する。なんとか次の間に行って、ソファに掛けた。
時間が来て、今日はマダム・メイエではなく、女中が朝食を運んで来た。
「お早うございます」
「ご機嫌よう」
「あら、こちらの暖炉に火を入れてないのですか?」
「ああ、寝室はストーブで暖めている」
「ではお持ちします」
「いや、自分で持っていくからいい」
だが女中は俺に構わず奥に進んだ。俺がこぼさずに食事を運べないと危ぶんだらしい。よほど歩き方が覚束ないと思われたか。
「ゆっくりお召し上がりください。こちらから下げにまいります」
女主人を見習ってか、愛想なく部屋を出て行った。
大きく肩で息を吐いた。彼の女は彼の女の仕事をしている。気にせずまずは腹を満たそう。暖かくなった部屋で、食事をすれば血の巡りが良くなる。
曇り空の下、学生街の様子を見ながら歩いた。いつもながら騒がしいし、様々な主張のビラが出回っている。寄宿先に戻り、休憩をするつもりだったが、いつの間にかうたた寝をしていた。気付くと、ベルナデットがいた。
いや、夢なのかも知れない。きっと手を伸ばしても感触はないだろう。




