六
「そうですか?」
誤魔化すか正直になるか、良心が暴れた。
「この頃寒さで喉がヒリヒリすることがありますが、特に衿がきついと感じておりません」
「喉風邪で喉が腫れたというより、擦れて肌が痛そう見える」
シュタインベルガー大佐は流石に俺に触れてこない。しこりが虫刺されを搔き壊して潰れたようになるだろうとは教えられている。鏡で見てまだこの程度なら気付く者はいないだろう高を括っていたが、油断だった。
「着付けで急ぐのはいけない」
貴族らしく衣装に関して一家言ありそうな大佐は、俺が雑に衿を留めて首の肌を擦ったと見てくれたか。
「ええ、気を付けます」
「折角だから上着を脱いでフェンシングをして着付けをし直せと誘いたかったが、どうも大尉は元気がなさそうだ」
多分、驚いた顔をしたのだと思う。
「若い者に生気がないのは気に掛かる。貴官の職務を果たしたら、充分に英気を養い給え」
大佐が気を遣うとは自分が思っているよりやつれて見えているのだろうか。周囲から指摘されて離脱するより、自ら申し出て去るべきか。胸の奥で小波が波紋となり拡がる。
俺は背筋を伸ばした。
「実は伯林に報告しなければならない事項があります。先に駐在武官の上司である大佐にお伝えします」
意識ははっきりしている。自分の意志をしっかり述べよ。続けて伯林の参謀本部に病を伝えて、配置換えと休職、後任の選考を願い出ねばなるまい。
「急ぐ内容かな?」
「至急ではありませんが、いずれ必ずお耳に入れなければなりません」
大佐は部屋を見回した。駐在武官の執務室なので、ハウスマン少佐が別の机で帳簿付けをしている。ヤンセン曹長がぱたぱたと出入もする。大佐は場所を変えようと席を立った。執務室を出て、大佐の個室に入った。大佐は自分の椅子に掛けると俺を促した。
「掛けて、貴官の話を始めたまえ」
報告はまだまとめていないのですがと前置きをし、でき得る限り感情を排して説明した。
俺の話を聞いて、大佐はしばし考え込んだ。
「貴官の話はほかに誰か聞いているか?」
「いいえ、大佐に初めてお話ししました」
「確かに誰彼構わず話していい話題ではない。参謀本部から指示なり、異動の内示なり届くまでは小官も口外しない」
「お気遣い感謝いたします」
大佐はふっと口元を緩めた。
「貴官を気遣ってではない。それが人事に関わる業務の進め方だ」
言われてみればごもっとも。
「ただ若い者に生気がないと気に掛かるのは本当だ。参謀本部に伺いを立てたら、巴里をあちこち探りまわるのはやめて休め。貴官は着任してから巴里で充分に働いた」
「そう仰言っていただくと気が楽になります」
伝えること自体は難しくない。医者からの診断があるので、それを添えて形式に則った文書を作って送付する。今までしてきた机仕事と変わりない。仕事と違うのは達成感がないこと。どんな調査内容であろうと、それをまとめて報告すれば反応があろうとなかろうと役目を果たした充足があった。
いずれ去る土地。異動する部署。
戦えないと判断すれば退くのが軍人。
傷病兵は職務半ばであろうとも、去るのが役割。




