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君影草  作者: 惠美子
第四十七章 いとしの君がいなければ
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 医者は俺を診察して、良くなったとは言わなかった。患者の病状が悪くても顔に出さないのだろうが、それはそれで落ち着かない気分にさせられる。

「胸の音が気になります。以前来ていただいた診察から時間が空きましたので、単純に変化していないとも増悪しているとも言えないのですが……。

 体調が気になるのでしたら、やはり休養なさるのがよろしいです」

「やはりそれは変わりませんか?」

「ええ、今の医学ではそれしか方法はありません」

 お仕事の調整で必要であれば診断内容を書面にしましょう、と医者が言ってくれたので、依頼することにした。

「病の進み方は人によって違います。ムシュウは体力があるからとお思いでしょうが、お若い方でも何がきっかけで病状が進むか判りませんから、不調を感じてからではいけません。これからは寒さが緩んで過しやすくなりますが、その先の夏の暑さは日常生活でも疲れを起こさせます。休養できるよう算段すべきでしょう」

 多分医者の(げん)は正しい。その通りに今すぐ実行できるかどうかに過ぎない。

「有難うございます」

 フォンテーヌブロー宮で療養しているゴルツ大使の許には大使館の駐在員が度々訪問している。フランス政府にもプロイセン政府にも外交大使の回復状況は重要だ。病床を離れ仕事に戻れる可能性はあるのか、それよりも後任の選考を始めた方がいいのか、その際の引継ぎはと、諸々の連絡で大使館の事務員は忙しい。

 大使のように俺もまた振る舞い方を考える。

 駐在武官筆頭のシュタインベルガー大佐はゴルツ大使の見舞いに行った。

「傷は塞がりつつあるそうだが、何分(なにぶん)治療箇所が口の中だから苦労されている。話すだけでなく、飲み物を呑み込むのも大変だそうだ」

 話を聞かされると、胸が塞がれる思いがする。

「アレティン大尉、貴官は巴里(ここ)に来てから日が浅いが、大使の護衛で同行した回数も多かった。気になるか?」

「はい、大使にはよくしていただきましたし、何かと助言をいただいておりました。お体が案じられてなりません」

 判ると、大佐は言った。

「だが見舞いはまだ控えてくれ。人と会って意思の疎通を図るにも時間が掛かって大使がお疲れになる」

 大使館の一職員の身では大使の回復を祈るのみだ。

 大きな気掛かりに大使館員の皆が囚われている。そんな中で医者からの意見書を添えての休職や転任の希望を出していいものか、気後れがある。俺らしくもない。

 ベルナデットへの想いと未練、と人は言うかも知れない。

 認めたくないのだ。病に侵されて与えられた任務を遂行できなくなるのかと。床に縛られ、ぼんやりした日々を送らねばならぬのかと。まだ動けると信じたいのだ。

 見栄っ張りな自尊心を気弱な良心が、血反吐を吐いて呼吸(いき)もできなくなってからでは遅いのだと必死に説得している。心の内の均衡は揺れて危ない。

「大尉、顔色が良くない。大使を案じるのはいいが、自分の身は厭えよ」

「はい、そうします」

 普段は諜報を行う俺のことなど気に留めない気取り屋の大佐が珍しく俺を注視した。

「小官の勘違いなら悪いが、貴官の首元はいささか苦しくないか?」

 思わず首、左の耳の下あたりを押さえた。着替えで気付いていたし、医者からもこれは結核の一症状と言われた。触れると皮膚の下で動く硬いしこり。痛みがわずか、小さいから腫には見えまいと、着付けに気を付けていれば目立つまいと思っていた。

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