十二
「囚われているのは俺も同じだ」
「ええ、あなたはわたしを愛していると言ってくれた。わたしは仕合せになれたし、素晴らしい夢も見られた。有難う。
わたしからお別れしようと言い出したのだから、もうあなたを捕まえようとはしない」
病を抱える俺の腕でもほんの少し力を入れればぽきりと折れてしまいそうな体格なのに、抱きかかえてさらってしまえそうなのに、どうしてそう簡単に別れを口にできるのか。
「愛していると言っても、もう止められないのか?」
「これ以上堂々巡りの話を続けても何の解決にもならないでしょう。あなたとわたしは考え方も大切にしたいものも違う。お互いそれが譲れない、諦めなられないのなら、上手くいきっこない」
俺はベルナデットを抱き締めた。力を籠めれば彼の女を身の内に取り込み、二度と離さずに済むとばかりに強く強く。彼の女は苦しそうに短い呼吸を繰り返した。
「愛している」
「わたしも愛している、モン・シェリ」
「それでもあなたの気持ちは変わらないのか?」
抱き合い、溶け合う温もりの快さにほだされはしないのか。
「お別れした方がいい。あなたといればわたしはあなたの為に何かしないではいられない。あなたがそれを望まないなら」
なんと言い返したらいいか浮かんでこない。やさしい彼の女になんとかなしいことを考えさせてしまったのか。いとしい女性を悩ませたとは不甲斐ない。彼の女のやさしさ、朗らかさを損ないたくないと思いつつ、正反対の結果になっている。このままフランスを不利に導く情報に関ったり、北ドイツに住まわせて辛い目に遭ったりしたら、きっと傷付く。何も怖くないと言い切ったのは本心からでも人の心は弱く、風に散る花のごとく移ろいやすい。辛い目に遭うのは俺の所為と愛情が薄れてしまう時もあるかも知れない。何故こんなことになったと俺を恨み、憎む日が来るかも知れない。
ああ! そんな日が来るかも知れないと悲観してはいけない。彼の女はそんな浅はかな女性ではない。だが人を恨みたくなるほどの憂き目が来ないとは言い切れない。いとしい人を守ろうと全力を尽くそうと、人は万能ではない。
潔く彼の女の決断を受け入れるべきなのだろう。深く息を吸い込むと、胸の奥が痛んだ。ぐっと気管がざらつく感覚がきて、咳き込んだ。こんな所で! 咳を長引かせたくない。溢れる呼気を押さえながら、腕を緩めた。
「モン・シェリ、大丈夫?」
大丈夫と手で示そうとして、咳を堪えきれず口元を覆った。下を向き、なんとか胸の荒れる風を収めた。
ベルナデットは自分の発言に衝撃を受けたのかと戸惑っている。こちらは驚きで失神するような淑女ではない、要らぬ心配だ。
心配させるとしたら――、やはり俺の病が重くなってしまうことだろう。いくら病を隠していてもこのまま快方に向かわなければ、明かさなくてはなるまい。それこそベルナデットはすべてを投げ出して、看病しようとするだろう。
治るかどうか医師が断言できない病の為に彼の女を引き留めたとして、俺は満足するか? 風邪を引いた振りでも寝込めば周りの人たちが優しく世話してくれると悪知恵を働かす子どもではない。本職の医師や看護師だとて、人の生き死にを目の当たりにし、また自身の判断や対応が患者の人生を左右したのではないかと心を削られる場面も多いと聞く。医療に素人のベルナデットが看病にやつれ、ましてや結核を感染させてしまったとしたら? それはそれで恐ろしい。
俺の為に彼の女の生き方を変えてもらいたくない。
心からそう願うのなら、やはり別れるしかないのだろう。
「あなたの言う通りにしよう」




