六
現在のバイエルン国王が若すぎて外交を知らないといえども、オーストリア帝国の皇帝の母親はバイエルン王女であり、その皇妃はバイエルン公女。バイエルン国王の母親がプロイセン王女というややこしさがあるが、南ドイツの大国として北方のプロイセンの台頭を楽しからず感じているだろう。オーストリアから共闘を期待されているのは間違いない。
軍隊が集結しつつあれば、バイエルン国王はその気になるだろうと決めたのだろう。とにかく南の連邦軍と合流すべく進軍する。不満を唱える暇はない。
六月二十一日はハイゲンリスタット、二十二日にはミュールハウゼンに到着した。アイゼナッハは間近であり、山を越えればバイエルン、連邦軍と合流できる。
しかし、行軍が一旦止まった。なにゆえかは判らない。何か上の方で問題が出てきたのか。
「何故進軍の指示が出されないのでしょう?」
大隊長のヴァイゲル少佐に尋ねた。
「判らない。どうも、上の方々の思惑が出てきて、下々の者には耳に入れられない事柄が出てきたらしい」
「南の王国ではなく、西の王国ですか、それも海を越えて島の?」
「判らん」
本当に知らないのだろう。こんな時に時間を浪費したくないのは少佐も一緒のはずだ。いい顔をしていない。
知ってか知らずかブルックが関わりのない話題を出してきた。
「判らないものは仕方ない。王族の方々はどこかで血のつながりがあるからな。
それよりもバイエルンの首都には美人の肖像画のコレクションがあるそうじゃないか。アレティン中尉は以前に旅行したが、見たのか?」
場を和ませようとしてくれているのだ。
「残念ながら、あれは王宮にある。見られないさ。オーストリアの皇帝陛下の母君は若い頃大層な美少女で、肖像画が飾られているらしいがな」
「若い頃のだろ」
とシュミット。
「不甲斐ない旦那の大公を差し置いて、旦那の兄の後継に自分の長男を皇位に即けたオバサンさ」
否定できない。
「女はいつだって怖い。若くても年齢を重ねていても」
「は、アレティンがそんなことを言うとは思ってもみなかった」
「美人の大公妃は夫君がいるのにナポレオン2世との間に子どもを儲けたといわれている。その息子はメキシコ皇帝陛下だ。怖いね」
「ナポレオン2世の母君はハプスブルグの皇女だから、問題なかろう」
ヴァイゲル少佐が咳ばらいをした。
「根も葉もない噂に過ぎない。そこまでにしておけ」
「はい、失礼しました」
そう、ただの噂だ。政略結婚でどうしても愛せない夫と長男を儲けた後、大公妃は年下のナポレオン2世と親しくしていた、短命だったナポレオン2世にロマンスくらいなければ気の毒と、ささやかれていた程度のものだ。
「次の指示が出るまでのほんの休息と思っていればいい。噂話はほどほどにしておけ」
「了解しました」
そこはおとなしく引き下がったが、――ヴァイゲル少佐には悪いが――こっそりとリース大佐に連絡を取ってみた。面会を許可されたので、参謀用の幕舎を訪れた。しかし、ここでも状況は判らなかった。
「駆け引きだ」
とだけ、リース大佐は言った。
「それ以上は何も言えない」
「しかし、ここで座していたら、ゲッチンゲンに居座っているのと同じで、プロイセン軍に追いつかれて包囲される可能性が高いと思われます。
アイゼナッハへ急ぎ、そこからバイエルン王国への進軍をした方が得策と愚考しております」
リース大佐は眉を寄せていた。
「それは小官も考えている。しかし、もっと大局から物を言える人間がいる。その人間の言に足止めされているも同然なのだ。
ここまでしか言えない。下がって貴官の中隊の面倒を見ていたまえ」
大佐にそう言われては引き下がるしかなかった。
そして、二日間の空費だ。
再びアイゼナッハへと出立することとなった。こうなるのなら、休止せずにアイゼナッハに向かっておればよかったものをと、愚痴を言いたくなるのは後知恵だ。
アイゼナッハを目前にして、斥候がプロイセン軍の動きを報告してきた。
なんとプロイセン軍がアイゼナッハに到着しつつあるという。
軍は慌てて方向転換し、ランゲンザルツァに戻り、ウンストルト河を渡り、東河畔に移動した。プロイセン軍が近くまで進軍してきているのなら、ここで陣を張ることになりそうだ。
バイエルン国王マクシミリアン1世(ルードヴィヒ王2世の曽祖父)の王女ゾフィーはハプスブルグのフランツ・カール大公と結婚、後の皇帝フランツ・ヨーゼフの母となります。ゾフィーの姉妹のルードヴィカはバイエルン王家の分家筋ヴィッテルスバッハ公爵マクシミリアンと結婚、娘の一人が「麗しの皇妃エリザベート」です。
1848年の政変の折、伯父のフェルディナント1世が譲位し、父フランツ・カールを飛び越え、フランツ・ヨーゼフがオーストリア帝国皇帝に即位しました。
フェルディナント1世とフランツ・カールの姉が、ナポレオン・ボナパルトの二番目の妻となったマリア・ルイーゼで、その間に生まれた男児がナポレオン2世です。ライヒシュタット公とも呼ばれています。ナポレオンの没落後は、両親と離され、維納の宮廷で育ち、二十代の若さで亡くなりました。ゾフィー大公妃とのロマンスは伝わっていますが、信憑性は薄いらしいです。
フランツ・ヨーゼフ帝の次弟マクシミリアンはそのロマンスの結果生まれたと言われていますが、あくまでも噂の域です。この頃、マクシミリアンはメキシコ皇帝になっています。
参考 『ハプスブルグ宮廷の恋人たち』 加藤俊一 文春文庫