七
明日こそはと誓って迎える朝は昨日の続き。すり減ったまま、もう増えることはないのだろうと思い知らされる己が力。
俺はまだ自分で立ち上がれる。希望は捨てない。ゴルツ大使がこれから受けるであろう痛みに比べたら、どれほどのことがあろう。大使館に行き、報告書を上げる傍ら、伯林や昴の直近の状況を聞き、大使の病状を尋ねた。
「大使は大事無いように振る舞っているが、大分お辛そうだ。フランス皇帝が紹介してくれた外科医の腕は確かと聞いている。それに期待するしかない」
外科処置を受ける箇所が口の中、舌とあっては処置を受ける側も切除手術をする側も負担が大きいだろう。無事を祈るしかない。
空を覆う灰色の雲の下、帰途に就く。
週末にベルナデットと会う約束をした。謝肉祭の衣装の注文で『ティユル』は慌ただしいが、ベルナデットは楽しみにしてくれる。俺も彼の女と会う約束が未来への道標だ。ベルナデットと過す時間をより良くする為、努力しようという気になれる。
土曜日の夕方、終業時間を過ぎる頃、『ティユル』に行った。いつものように裏口に回り、扉を開いた。閉店後の後始末をしている気配がする。
「ご機嫌よう」
と声を掛けると、いらっしゃいと複数の声が返ってきた。すぐに終わりますからと、お針子が一人、顔を覗かせた。あれこれと指図する声が聞こえて、マリー゠アンヌと次いでベルナデットが姿を現した。
「今日はちょっと時間が掛かってしまって、まだ片付かないの。もう少し待っていてね」
商売繁盛は喜ばしい。
「慌てると手違いが出る。気にする必要はない」
「有難う」
ベルナデットは頬に接吻をして、小鳥のようにその場を去った。
「ベルナデットの仕事を気に入ってくださる分、注目が多いお客様がいるの」
マリー゠アンヌは笑い半分で説明した。
「本当は俺を泊まらせずに仕事に集中したい?」
アンヌは手を振った。
「そこは大丈夫。段取りはきちんとできたからご心配なく」
繁忙期に邪魔をしたとわずかな咎めが隙間風となって肌を刺す。
「いい仕事をしたかったら、休養やわたくしごとの充実が大切。働いたら休めと神様がお示しくださったのだから、守らなきゃいけないでしょう?」
大いに同意しよう。
伯母たちに挨拶して、世間話をしていると、ベルナデットがやってきた。
「お待たせ」
先刻の触れたかどうかも怪しいものとは違った温かく柔らかい感触が両頬に注がれた。極上の微笑みが眩しい。
「来てくれて嬉しいわ、従兄殿」
「俺も会えて嬉しい」
今更照れもなく、俺も両頬への接吻を返した。
『ティユル』でいつもと変わらぬ夕食の卓を囲み、女性陣のさざめきを聞きながら寛いだ。俺が饒舌になる必要はない。むしろ控えていた方がいいはずだ。
「もっとお兄さんのお話を聞かせてよ」
とルイーズが言う。俺は首を振った。
「今週は目新しい出来事に遭遇しなかったからなあ」
詰らないわ、と正直なルイーズに、母のマリー゠アンヌはお仕事でお疲れなんですよ、とたしなめた。
食後のひととき、カード遊びをして時を過し、ベルナデットが俺を泊める部屋に案内した。勝手知ったるなんとやらだが、二人きりになる口実だ。




