四
熱心なボーションに比してグラモンは話を終わりにしようとしたと見える。
「お前さんが何と言おうとも世の中の庶民は、麗しいお姫様や凛々しい王子様、威厳ある王様、女王様に憧れるものさ。絵に描いたような暴君やバカ様が現れないと民衆は目が覚めないし、王侯貴族は民衆の目を覚まさせないよう、尊き責務を果たそうと努力する。
たまに破目を外すのはいいが、尊き責務を忘れるんじゃないぞ、と言い続けるのが趣味と実益を兼ねた俺様の仕事だ。
かつてのカスティリオーネ伯爵夫人のような美貌の女間諜が我が皇帝陛下をたぶらかしに宮廷をウロチョロしてくれれば、楽しいんだがねえ。皇帝陛下が女遊びを引退していないか、それが気掛かりだ」
俺は失笑し、ボーションは口角を下げた。
「フランス人が皇帝を気遣うのがその点ですか?」
グラモンは肩をそびやかした。
「男の実力の目安の一つだろ? 精力が枯れちゃデカい仕事を成し遂げる意欲も功名心も枯れちまう」
確かに、と俺はふざけ気味に同意した。面白くなさそうなボーションはぼそりと言った。
「カスティリオーネ伯爵夫人なんて十年以上も前に宮廷を騒がせた女性でしょう? それもトスカーナだかサルディーニャからきた外国人」
「そうそう。若いから知らないかと思ってたが名前くらいは知ってたか。当時のヴィットリオ・エマヌエーレ2世が直々に、色気で皇帝を手玉に取ってサルディーニャ王国に有利に働きかけてくれるよう頼んだっていう」
グラモンが胸の辺りで両手をヒラヒラさせた。
「こう、胸が大きく開いた透け透けの薄物のドレスで舞踏会に来て皇帝を悩殺した。スペインから来た皇妃サマは懐妊中で亭主の相手をしていられなかったから、かなり大っぴらだったぜ」
グラモンの仕草にボーションも流石に笑った。
「一国の皇帝が簡単に落とされちゃった」
「皇帝ともなれば、寵姫になりたい女、女を使って皇帝に取り入れないかと探る輩が出てくるさ。こうなると貴族も女衒と同じ」
カスティリオーネ伯爵夫人の働きかけがどれほどのものか詳細は知らないが、まあ、イタリア王国が成ったのだから間諜として役に立ったのだろう。
「貴族の若い娘がお家同士の結婚をして、夫に満足できなくて、その美貌を活かして働いてみないかと声を掛けられる。庶民の娘が工場や洋裁店で身を粉にして働いてる所に、折角器量がいいんだからと誘惑されるのと変わらない」
「女間諜といったって高級娼婦とやっていることは同じですね」
「人の欲が消え去らない限り、人類最古の職業は現役である続けるさ」
笑い声が響いた。
俺は笑う気になれなかった。マダム・ド・デュフォール、ポーリーヌを思い出す。彼の女は男性たちを魅了する官能的な微笑を投げ掛けながら、かなしみをふと垣間見せる。それが役目と愛想よく振る舞いながら情報を得て、人を動かしてみて、達成感の恍惚だけを手にしてきたかどうか。俺をヒヨコ呼ばわりしていた彼の女は、探索していて危ない目に遭うことがあっただろう。危ない目の種類には好きでもない――むしろ嫌いな部類の男と距離を詰められる場も考えられる。間諜は屈辱を受けようとも職務を全うする為、耐えねばならない。またひとたび立場を知られたら、同業者から注視される存在となる。
ベルナデットは何も知らない。知らないままでいるべきだ。俺の従妹で愛する女性、それだけ。それだけで充分。




