六
死は突然に、猶予を与えずやって来る。
四十路に入ったばかりのマリー夫人が、七十近いモルトケ大将閣下を残して降誕祭の日に先立つとは誰も予想しなかった。同じように俺が病をにわかに悪化させ、またはフランスの諜報員に睨まれて、明日命を落とすか知れない。
エロスの放つ矢は気紛れで、いつ、誰に愛情が向かうか判らないし、矢が金か鉛かも判らない。恋情もまた突然に現れ、消える。
愛情で結び付いているから平気なんて、断言してしまっていいものか!
「ベルナデットは怖くないのか?」
「何が怖いの?」
「俺は命令一つ出れば伯林に戻らなければならない。あなたに確かなものを何一つ残せなかったらどうする?」
「確かなものは幾らでもあるわ。あなたからの贈り物、言葉、思い出、そして愛情」
贈り物といっても、大した物を渡していないし、あとは時と共に移ろう。
「形のあるものや世間に認められた形式は要らないのか?」
「あなたの立場を難しくするなら要らない。
わたしはあなたの愛情さえあれば、ほかには何もなくていい」
きっぱりと言い切る彼の女のどこから強さが湧いてくるのだろう。表情に迷いは一切窺えない。
「マダムとかフラウとか呼ばれなくてもわたしは一向に構わない。あなたと愛し合い、生きていくのに形式なんて必要ない。
あなたへの愛情がわたしの生きる力よ」
刺されるように胸が痛んだ。病と心と、どちらの痛みか区別が付かない。
「わたしの為と言うのなら、わたしを気にせず――、そう、わたしに縛られる必要はない。あなたはあなたの思うようにして。わたしもわたしの思うように愛して、生きる」
「それであなたの生き方は? もっと自分の人生を大切に考えないのか?」
「わたしはあなたに付いて行きたい。一緒にいたい、それだけで頭が一杯だし、それしか見えていない。
あなたがいなくなったら、暗闇で灯りが消えるのと同じ。
あなたさえいればいいの。あなたがわたしを愛してくれるのなら」
「ベルナデット、俺はどれだけあなたの気持ちに報いられるか判らない。あなたの愛情は俺に勿体ないくらい大きい」
ベルナデットから寄せられる大波に埋もれ、包まれてしまいそうだ。
「あなたがそう感じてくれるのなら、それでいいの。
巴里で洋裁店の仕事は続ける。いつか伯林か昴に店を開こうとするかも知れないけれど、あなたに負担はかけない。
あなたの同伴でお呼ばれに出たら、出しゃばらずに振る舞って、あなたの役に立ちそうな話を耳にしたら必ずあなたに伝える。ええ、それこそどこぞの偉い方の席でも、あなたが体面を気遣って避けてくれていたラ・パイーヴァの屋敷でも行きましょう」
「フランス人のあなたがプロイセンを利する行為をしなくていい」
「あなたにわたしがどけだけあなたを愛し、どれほどのことができるか伝えたい。わたしにだって一通りの知識も意思も感情もある」
「一通りの知識も意思も感情もあるなら、そんな物言いは止めてくれ。俺はそこまでされる価値はない」
「あなたの価値を決めるのはあなたではない。わたし!
あなたはわたしの宝。あなたに比べたら何もかも見劣りする」
ああ、恋とは、愛とはどうして人を惑わせる。やさしく情の篤い女性の決意に、俺はたじろぎ、喜び、胸の痛みが止まらなかった。




