十一
頭突きの危険を回避し、なんとか堪えて、体勢を整えた。
「それは俺の言動に嫌気が差したということか?」
ベルナデットは動揺する俺を見据える。
「今のところはまだ」
情けなくも手を取り縋りたくなる。
「何度も言っているように、わたしは守られる一方の雛鳥じゃないのよ。わたしだって自分の足で立てる人間であるつもり。お互いが手を取って高め合う存在でいたい。それなのにあなたから何も知らされない、知らないままでいて楽しいと思っているの?」
「俺には俺の職務があるように、あなたにはあなたの仕事がある。全く違う内容の仕事をしている。俺に振り回されてあなたの仕事に差し支えが出たら困るだろう? そうなったら俺だって心苦しい」
しっかりとした意志を感じさせるのがベルナデットの魅力の一つだが、ここでは悩ましい強情だ。青い瞳は俺の胸の内を探りつつ、自らの主張を曲げぬと伝えてくる。
「ごめんなさいね。わたしだって多少は物事を考えるの。
駐在大使のお仕事って大変でしょう? 常によその国にいなくてはならなくて、よその国の権力者と話し合って、協力したり、自国の利益を図ったり、戦争を避けようとしたりする。社交場に出て、お付き合いをしていなくてはならないし、お国の威厳を保つように振る舞わなくてはならない。お国の代表なんだから。
あなたもそうでしょう?」
「そうだ。大使が要人の屋敷や政庁に呼び出されれば、威儀を正して出掛けるし、一人でとぼとぼ出歩く訳に行かないから、武官はそれに付いて行かなければならないし、どんな場所でも警備は必要だ。
駐在武官は警備もするが飾り物でもある。招待されたら軍礼服を纏って宴に出席もする。衆目を集める場で見苦しい真似はできない」
ベルナデットはうんうんと肯く。
「それで大使館の駐在武官のあなたは駐在大使さんの護衛や大使館の警備だけの仕事をしているの?」
え、と俺は瞠目した。ベルナデットは可笑しそうだった。
「驚くことないでしょう?
わたしだって物事を考えるって言ったでしょう? それに様々なことを目にし、耳にして知っている。世の中、大きな声で言えないけれど、何となく皆が了解している事柄だってある。
かつてタレーラン大公が諸外国相手にフランス有利を引き出そうと巧みな交渉をしてきたとを、この国の人間なら誰でも知っている。タレーランが愛想のよい話し好きで誠実な人柄をしていたから、いい仕事ができたと信じている人はいないわ」
中世このかたの名家の血筋で、フランス大革命の時期から帝政、王政復古、七月王政と、政体や権力者が目まぐるしく変わる中、一貫してフランスの外交に携わり続けたタレーラン゠ペリゴール、この男の外交手腕は高く評価されるが、人柄や私生活を褒める者はいない。タレーランが賭博で幾ら失くした、どこぞの人妻の寝床で朝を迎えた、と良識家の眉を顰めさせる話題に事欠かない。ナポレオン1世にも戻ってきたブルボン家の王にも好かれていたとは言い難く、警戒されていたのに、何故か外交役を任されるのはタレーランしかいなかった。
「維納会議でのタレーラン大公やメッテルニヒほどじゃなくても、対外交渉をする人は多かれ少なかれ汚れ仕事もするのでしょう?」
どう返事をしようか、言葉が出てこない。
「あなたが困った顔をして返事をしないってことは、わたしの言ったことは間違っていないからよね?」
感情が表に出るとは、俺はやはり諜報に向いていない。




