四
六月十六日は車中の旅で終わった。翌十七日、ゲッチンゲンに到着した。
ハノーファー王は、各方面の兵をゲッチンゲンに集結させるように指示を出しているそうだ。アレントシルト中将が指揮官となり、列車から兵士や馬が降り、郊外に荷を運び込み、陣を張る準備を行った。
一騒ぎあった。持ってくるはずの弾薬や医療品が揃っていない、ハノーファー市の駅周辺まで運んでおきながら、列車に積み込みそびれたという。愉快でない話だ。
カレンブルク南部軍団は見物のお客様ではない。シュテヒリング中将はこのままハノーファー軍と合同でプロイセン軍と戦うと決めた。既にヘッセン軍が南下して連邦軍と合流する模様だ。このままさらに南下してフランクフルト付近の連邦軍第八軍団に飛び入りの合流をするより、合同演習のために事前から打ち合わせをしてアレントシルト中将の為人を知っているので、我が軍が動きやすいと判断したようだ。中将と同格だが、ハノーファー国内の地、土地勘の有無で、アレントシルト中将の作戦・指示に従う。そうと決まれば、一緒に陣を組み、周辺の状況を確認する作業だ。
車中ではだらしなく過してしまった。眠らなければと強く意識すればするほど眠れず、かといって昂っているのではなく、食欲もなかった。何も考えられず、じっと座ったままだった。
十七日が明けて日の光を浴びていると疲労が取れ、自分の手足の感覚が戻ってくるような感触がした。不思議なものだ。夏の日差しで心が生気を取り戻す。六年前のスタルンベルク湖畔での休暇の日差しもそうだった。自分はまだ生きられる。
列車から降りた兵士たちにハノーファー国王と、軍司令官となったアレントシルト中将から発言があった。
「プロイセン王は余に対し、余の王位の栄誉、我が王国の独立を危うくするが如き要求をしてきた。これは我が権利において到底容れられず、従えぬものである。この要求を拒否するが故にプロイセン王は軍隊を我が国に侵攻させた。
我が首都の守備は敵を防ぐに足らぬ。妻と娘を首都の民に託し、我が息子とともに軍とともにある。今より、諸君は一時他国の統御に属すと雖も、愛国心を忘れないで欲しい。そして艱難に遭っても堅忍不抜の心を失わないで欲しい。諸君の祖先がかつて家族のため、国のために戦い、ついに勝利を得た心を旨とせよ。余と息子も国の為に身を犠牲とせんと君たち兵士の中に身を置く。我が赤子のために余はある」
視力のないため、足取りは覚束なかったが、ゲオルク5世は力強く告諭した。
「今や我が祖国の存亡、我が主君の安危は一に君たちに掛かっている。
この危急の際に、自分は王命により君たち兵士を統率する任に就いた。正義はこちらにある。我が人民が古来より豪勇かつ国王に忠実で愛国心篤いのは歴史が証明している。今後幾多の困難があろうとも、これを克服し、正しい道と喜んでこの任に就くよう、小官から諸君らに望むものである」
アレントシルト中将は軍司令官として重々しく、そして覚悟をもって兵士たちに語った。
この日は、荷の整理や、簡易な陣を張ることに終始した。また、続いて到着する隊もあった。
翌十八日から防御のためゲッチンゲンの四方を防御で固め、周囲の鉄道を破壊した。
そんな中、十七日にハノーファー市がプロイセンの第十三師団に占領されたと報が入った。軍が首都から出た次の日、我々がゲッチンゲンに到着した日の夕刻のことであったという。
日の光を浴びて何が生気を取り戻すだ。
カレンブルクは? ゲオルク2世は昴に入らず、南部に向かっている。シュレスヴィヒからホルシュタインを侵攻したプロイセンのマントイフェル中将の師団が南下を続け、昴を降伏させ、一路ハノーファーに軍を進めているというのだ。
我々がゲッチンゲンで警戒している間に、プロイセン軍はヘッセンやナッソウ、次々と都市を占領し、進軍を続けている。
プロイセンの速度に、誰もが驚いていた。
ハノーファーの王と将軍の言葉は、伊藤政之助の『世界戦争史9』を参考にしております。
漢文調文語体っぽい文章です。要約して平易な言葉にしようと努力しました。でも威厳が出るように書くと、やはり漢文調の表現になります。




