七
お悔やみの言葉を伯林に送ろうと筆を執るが、まとまらない。どんな言葉も閣下のお心の慰めになるまいと迷い、しかし悼む気持ちを伝えておかなくてはと、どうにか失礼のない言葉を選ぼうと悩みに悩んだ。さんざん時間を掛けて当たり障りない文章になった。心のままに綴り、それでいて読み手の胸を打てるような整った文章とは推敲を重ねても難しい。
ランゲンザルツァで負傷して荷車で運ばれる破目になった時、空を見上げながら人がどれだけちっぽけで無力であるか噛みしめた。岩をも貫く意志や重ねてきた努力が報われるかどうかは神のみぞ知る。人の営為はちょっとした偶然に左右され、望んだようには物事は進まない。天の配剤を受け入れるのに穏やかでいられない。
今年の冬は昨年よりも厳しくないといっても防寒着を着こまなければ外に出られないのは同じで、寒いことには違いない。身を縮める気温の中で熱い話題はオデオン座の芝居だろう。社交の場に出向くと挨拶の次に出てくる。
「オデオン座の『去り行く人』はご覧になりましたか?」
「いえ、まだです」
答えると相手は実に気の毒といった体を見せる。
「ぜひ観に行くべきですよ」
と親切に勧めてくれる。
「いやあ、一幕ものの芝居だからどうかと思っていたのだが、予想以上の出来でね」
「そうそう、サラ・ベルナールが素晴らしい。前々から台詞回しの巧みな女優だと言われていたが、これでまた評判が上がった」
期待が膨らむな。前売りを手に入れておかないと見逃してしまいそうだ。ベルナデットにも予定を空けていてもらおう。
次の土曜日の夜に観劇に行くと決まり、当日は早目の時間に落ち合って、近くのリュクサンブール公園を歩いた。
「こうしてお芝居を観に行くなんていつ以来かしら?」
ベルナデットを初めて部屋に泊めた日の出来事を思い出し、俺は誤魔化すようにさあ? とだけ言った。ベルナデットは気にせずに俺の肩に頭を傾けた。
「新聞の劇評にも褒める記事ばかりだから、きっと面白いのだろうって楽しみなのよ。帰ってきたら詳しく教えてねとルイーズから頼まれているの」
「大役を仰せつかって大変だ」
本当にもう! と言いながらベルナデットは二人きりの外出に嬉しくて仕方がないといったふうで、足取りは軽やかだ。俺も彼の女が喜ぶ様に心が浮き立つし、話題の舞台を観られると気が逸る。寒さもはたれ合って歩く口実で、劇場が開くまでの時間は長いようで、きっと短い。
オデオン座に入り、混み合うロビーを進んでいると、見知った人物と行きあった。
「今晩は」
と愛想よく声を掛けてくれたのはエステル・ギモンだ。一緒にいる新聞王のジラルダンが通り一遍の挨拶を寄越した。
「ご機嫌よう、マダム・ギモンにムシュウ・ド・ジラルダン」
エステル・ギモンはベルナデットを見て言った。
「そちらの素敵なお嬢さんはテレーズの言っていた軍人さんの娘さん?」
何の気なしに口に出したのだろうが、俺は一体誰を指しているのか判らずに考え込んでしまった。見当違いの発言をしたとすぐに気付いてエステル・ギモンは謝ってきた。
「ごめんなさい。テレーズと会ったばかりだったからレオンとかいう人と勘違いしてしまった。改めてご紹介願えるかい?」
レオン? レオニー・レオンのことか。確かに二人は黒い髪に青い目をしているが、レオン嬢はほかに特徴的な個性を持っている。ラ・パイーヴァはそれを伝えなかったのだろうか。
ベルナデットは気を悪くした様子を見せず俺を促した。
「小官の従妹のベルナデット・ド・ラ・ヴァリエールです。
ベルナデット、こちらは巴里で一番の機知の持ち主のマダム・エステル・ギモン。こちらが『リベルテ』紙の社主のムシュウ・エミール・ド・ジラルダン」




