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君影草  作者: 惠美子
第四十四章 岐路
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 巴里の大学には(れき)とした医学部があり、学生街(カルチェ・ラタン)には大学で教鞭を執る医学者たちが暮らしている。前にカフェで医学者やその弟子の町医者の評判を耳にしたことがあって、診察を受ける為の見当をつけるのは難しくなかった。

 行った先の医者は最近の体調や症状を聞き、耳の下から首、鎖骨の辺りに指を当て軽く押し、痛みを感じるか尋ねた。ついで聴診器を出して俺の胸に当てた。深呼吸を繰り返すように指示され、それに従った。

「もう一度お願いします」

 医者は慎重に耳を澄ました。

 言いづらそうにしている医者の顔から、心配のし過ぎだとは言ってもらえないのだと察せられた。

「貴方から伺った症状と胸の音、目立っていませんが頸部から胸にかけて腫れも見られます。これらから肺結核と診断します」

 事実は事実として受け止めよう。

「厳寒の時期でもありますし、今の時期は暖かくして過してください。ただ換気を忘れずにしてください。淀んだ空気が一番よろしくない。病気でなくても息が詰まってしまいます。

 この病に特効薬というものは今のところないのです。でき得るならお仕事を休まれて、都会を離れて空気のよい場所でゆっくりと過されるのがよいでしょう」

「休めない場合はどうなりますか?」

 医者は即答した。

「悪化を招きかねません。この病は進行が遅いのですが、症状が現れる頃には既に患者の体は病に深く蝕まれています。気付いた時には重症なのです」

 俺の望む療治の方法など言ってはくれまいと漠然と感じつつ、尋ねた。

「今すぐに長く休むのは無理でしょう。巴里を離れるのもです。せめてどのような日常を送るべきか教えてください」

「仕事を休めないのなら、できるだけ量を減らし、負担を軽くしてください。そして疲労を避け、飲酒を慎んでください。滋養のある食物を摂って、余裕のある生活を送ることです」

 仕事の負担をどれだけ減らせるだろうか。今の任務に不満だらけでいたつもりだが、それでも半端になるのは嫌だと感じてしまう。カレンブルク陸軍にも骨のある奴がいると示せと言ってくれた南部軍団の仲間たち、信任してくれる伯林の参謀本部、心の内が大きく揺れた。

 ベルナデットと離れて暮らさなければならないと想像するだけで耐えがたい。俺が一人で無為の生活ができるとも思えない。

 黙り込む俺に医者は話を続けた。

「結核は伝染(うつ)る病気です。以前は遺伝病ではないかと言われていましたが、最近の研究により伝染すると判明しました。結核の患者に接触しても、天然痘や麻疹のようにすぐに発病はしませんし、必ず発症するとも限りません。病の元となるものが移り、長い時間体の中に潜み、何かの拍子に、――例えば体力のない子どもや老人、若い方は疲労や不摂生が続くような弱りやすい時――を狙って発病すると考えられています。

 貴方自身の体の為だけでなく、周囲の方たちに病を拡げない為にも都会を離れるのをお勧めするのです。巴里での生活を続けられるのなら、できるだけ咳が他人にかからないように心掛けてください」

 シュレーダーや誰か、とは特定はできない、俺のように本人が知らないうちに罹っている者もいたかも知れない。結核の元となる瘴気が身中に入り込み、前の冬に寝込んで体力の落ちた隙に肺に巣を作ったか。

 結核が伝染病であるとヨーロッパで証明されたのが1865年。結核菌の発見は1882年。結核治療に用いる抗生物質のストレプトマイシンの発見は1943年。

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