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君影草  作者: 惠美子
第四十四章 岐路
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 待降節で街中に活気があるとはいえ、呼吸の度に大気は冷たく胸に突き刺さる。食堂に寄って腹を温め、部屋に辿り着けば後は横になるだけ。

 くたびれた。さっさと切り上げて早めに退庁したのに、もう何もする気がしない。それだけ心身不調な状態か。こんなままでは軍団に復帰できるか心許ない。

 暖炉で手を温めながら、肩を使って大きく息をする。

 ベルナデットに会いたい。だが会えば彼の女に慰めを求めてしまう。そんな情けない真似をしたくない。

 弱さを見せていい、頼っていいと言われ、肺炎になった時は親身に看病してもらった。それでも彼の女の前では髪も乱さぬ整然とした姿でいたい。ばかげた見栄かも知れない。ちっぽけなのにも関わらず自分を大きく見せようとする中身のない風船、意地っ張り、と笑われよう。

 だが楽園で暮らす子どものままではいられない。人は取り繕うものだ。外見を整えようと努力すれば、その努力に応じた精神(こころ)の成長もあるだろう。

 俺はそうありたい。

 そもそも脱いだ靴も投げっぱなしにして寝台にひっくり返っているみっともない恰好などベルナデットに見られたくない。眠りに身をゆだねよう。きっと気分よく目覚められるはず。彼の女だって降誕祭前の繁忙期、邪魔したくない。手土産を準備して、厨房の手伝いができるくらいに回復したい。

 夢も見なかった。堆積した泥のように体が重い。寒くて寝床から出られない。夏でもないのに寝汗で寝間着が湿っている。大病をして以来寝汗を掻くことが多くなったが、今朝はひどい。やはり前日に微熱があったからか。今、熱は感じない。寝汗の所為で体が凍みるように冷えている。

 何度も深呼吸をして寝床から出た。刺さるような寒さに身を縮めながら寝室のストーブを点けた。着替えるにしても体を拭いてからにしたい。水差しの水を薬缶に注いで沸くのを待つ。そのうちに着替えや布地を用意した。どれくらい温まったかと洗面器にお湯を注ぐ。まだ充分といえないが、これくらいの温度なら大丈夫と布を浸して絞った。マダム・メイエが来ないうちにさっさと身綺麗にしてしまおう。身支度をしてからまたゆっくりとすればいい。今日をどう過すかはそれから決める。

 歯が鳴り出しそうだったが、とにかく寝汗の気持ち悪さを拭い去りたい。何度も布を絞り直して肌をさっぱりとさせた。服を順に着込んでいくとオスカー・フォン・アレティンがそれらしく出来上がった。

「もうお目覚めでしたか?」

 マダム・メイエが朝食を運んで来た。

「ええ、昨夜は早寝をしたので、目が覚めるのも早くなりました」

 コーヒーの香りが漂い、気持ちがほぐれた。ご婦人の手からかっさらってがっつくわけにはいかないから、マダムを労いながらトレイを受け取りチェストに置いた。

降誕祭(ノエル)が待ちきれない子どものようですね」

 マダム・メイエなりの軽口らしいが、気難しそうな顔のままだ。マダムにも降誕祭(ヴァイナハテン)の贈り物を忘れず準備しよう。

 スープやコーヒーが冷めないうちにと早速ありつく。体の中から温まり、落ち着いた。

 窓の外を見やると、沈んだ色の空が相変わらずある。遅い日の出に照らされても冬の雲は分厚い。少しでも雲間から陽光が差しこめば心も明るく染め上がるものなのに、薄曇りの空は果てなく続いている。

 じきに冬至や降誕祭だ。冬至が終わればまた少しずつ日は長くなる。

 いつまでも眺めていても仕方がない。コーヒーの残りを飲んでしまおう。

 茶碗を手にしていないのに、何かを飲み込もうとしてもいないのに、喉に何かつかえるような気がして、咳き込んだ。また咳が止まらない。痛みを覚えて胸を押さえ、その場にへたり込んだ。胸から喉から上ってくる感触がある。手で口を押さえたが役に立たなかった。

 手を、胸元を見て、ぼんやりと思った。手も服も汚れた。もう一度着替えなくてはならない。血だらけじゃないか。

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[一言] 1868年も暮れ、運命の70年までカウントダウンを迎える展開、といったところでしょうか。 実際、神目線で歴史を辿る者としては、ノンフィクションで登場する有名人にワクワクしつつ市井の人々がこの…
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