八
旅行は計画し、準備するのも楽しい。実際に出掛けると天気が悪かったり、忘れ物があったり、体調が優れなかったりと予想しなかった出来事に見舞われてあたふたさせられることがあるが、準備しているうちは頭の中だし、やり直しがきく。それにしたって一週間、汽車での移動だけで六時間は掛かるから避暑地で過せるのは実質五日間なのに、ご婦人方の荷物が日数分を超えそうな気がする。まあ、昼の散歩と晩餐で着替えるのは当然のことと理解しよう。服に合わせての装飾品、帽子、バッグ、靴、小物、北仏の海岸は夏でも冷える日がある、雨が降る日が多いと羽織るものがいる、日傘と雨用の傘の両方を持っていく、と、どんどんどんどん増えていき、ひと夏そこで暮らす訳ではなかろうと、つい口出ししそうになる。
「ちっとも荷物がまとまらないわ」
「ドーヴィルにもいろんな店があるそうだから、もし足りなかったらそこで見繕ったら?」
「そうねえ。でも気に入った品が見付かるかどうか知れないし」
「あれこれ持っていって結局使わなかったり、失くしたりしたら大変じゃないか」
俺が気休めを言っても納得した様子はない。真面目に助言して機嫌を悪くされたら分が悪いので、しつこくは言わない。直前までには小さく詰め込まれているだろう。
「海岸沿いの散策がしてみたい」
「海辺には砂地が拡がっているのですってね。川辺とは違うのかしら?」
俺もベルナデットも海を見るのが待ち遠しい。
家から駅に向かうまでも一つの旅路だ。辻馬車を借りて寄宿先から『ティユル』に迎えに行って、そこで一家の荷物を詰め込み、戸締りや火の始末は大丈夫かもう一回見てくるとアンヌ゠マリーは家の中に入っていく。心配性なんだからと呆れたようなルイーズと、やっぱり遠出は身に堪えそうと不安がる伯母、ベルナデットはこれじゃ汽車の時間に間に合わなくなるわよと肩をいからす。軍事訓練のように進まないのは織り込み済みだから、落ち着かない気分にさせられても我慢だ。駅の窓口で荷物を運ばせ、汽車に乗り込めばなんとか安心できる。
「ゆうべはわくわくして眠れなかったの」
と素直にルイーズが告げた。
「眠たかったら遠慮なく。寝ていても汽車は動く」
「きっと目が覚めたら海なのよ」
時計の針が一日の四分の一を刻み、到着した場所の日差しはまだ明るい。
「ここがドーヴィルなのね」と座りっぱなしから解放されたルイーズは真っ先に客車から飛び出す。こちらは強張った体をほぐしているのに、元気なものだ。保護者は気が気ではない。
「みんなを置いていかないの」
マリー゠アンヌの声にルイーズは立ち止まり、俺はマリー゠フランソワーズの手を引いて客車から降りた。
「一人でどこに行こうっていうの」
ごめんなさあいと口では言うものの、ルイーズは初めて見る光景に目を奪われている。それはこちらも似たり寄ったりだ。若い娘がはしゃぐのを咎めるより、頼んでいる宿に入って荷物を預け、のんびりと別天地の雰囲気を味わいたい。
「まずは宿に向かいましょう。汽車の移動で疲れたでしょう」
そうね、と伯母は肯いた。縮こまった体を伸ばして一息つかなくては。
女性陣で一部屋、俺も一部屋と予約したので、同じ階だが場所が離れてしまった。
「後でお兄さんのお部屋がどんなのだか見に行くわ、お兄さんもこっちを見に来ていいからね」
「そうね、後で一緒にお邪魔しましょう」
汽車の中でうたた寝をした所為か少しも汽車の振動が負担になっていないようで、ルイーズは部屋でいっとき休息する発想はないらしい。
「足がむくんでない?」
と気にする大人の女性たちとは違うようだ。




