八
落ち込んでいても仕方がない。打ちひしがれたまま立ち上がらなければ敗者の立場は何ら変わらない。カレンブルクにも能力のある人間はいるとプロイセン側に印象づけ、併合された側が不利にならないよう、努力しなくてはならない。これは俺に課された義務だ。決して卑屈になることなく、誇りをもって。故郷の仲間たちもそのように俺を送り出してくれた。
意識して深呼吸を繰り返せば、頭の中の靄は消え去るだろう。晴れ渡れば、思考も行動も明確化できる。
強くなれるかどうかは、己が意思次第。
五月一日は鈴蘭の花を贈る、と大使館で風習を聞かされた。この日ばかりは子どもが小遣い稼ぎに公園に咲く鈴蘭を摘んで売ってもいい習わしだとか。鈴蘭の茎から出る汁が目や口に入らないよう気を付けていれば大事無いのだろう。
臨時の小さな花屋が数多く公園そばの歩道のそこかしこに立って、道行く人に声を掛けている。可愛らしい子もいれば、こまっしゃくれた憎たらしい様子の子もいる。どの子から買い上げたらいいものか。生活苦の健気そうな子はいないかと思ったが、簡単に見分けがつくものではない。服装や体格はと考えたが、俺一人が鈴蘭の花束を買い上げた所で多寡が知れている。慈善なら全体を考えなければ自己満足に過ぎない。だからといって本物の花屋で買った方がいいと判断するには俺は善良にできている。アンドレーアスに見られたら笑われるかも知れないが、お下がりと思われるぶかぶかの服を着て洟を垂らした小僧から鈴蘭を買った。側に縋り付くようにしている女児が邪険にされていて、早く商売を終わらせてやりたかった。
「小父さん、全部買ってくれるなんて景気がいいんだね」
と小僧はずけずけとした物言いをし、また公園の奥に花を取りに行くぞと妹を小突いた。まだ稼ぐ気だ。
「妹かい? あまり意地悪するなよ」
「ついてくるなって言っても引っついてくるんだ」
「手伝ってくれるのなら、分け前をやれよ」
「判ってるって」
小僧は小銭を受け取ると、振り返りもせずに公園に走って行った。女児は叫び声を上げながら懸命に後を追った。性別の違うきょうだいはあんなものかと呆れ半分、いい手土産ができたと、『ティユル』に向かった。
平日なので裏に回って来訪を告げた。
「こんにちは、お兄さん。鈴蘭を持ってきてくれたのね、有難う!」
出迎えてくれたルイーズは歓声を上げた。静かに、と店側から声が掛けられる。二人で口を噤む真似してみて笑い合った。
丁度お客が切れていたらしく、店に案内された。店にも小さな花瓶に鈴蘭が活けられていた。鈴蘭を模した飾りや刺繍が置かれている。
「ついお土産にと買ってきたけれど、余分になってしまったか」
ベルナデットとマリー゠アンヌは首を振った。
「沢山あったからって困りはしないわ」
「ええ、鈴蘭の花束は幸運の印よ。贈る相手の仕合せを願ってのもの」
ベルナデットが花束を受け取って、俺の首に手を回し、頬に唇を寄せた。
良かった。俺は目を閉じ、湧き上がる喜びを噛みしめた。彼の女こそが我が五月の女王、春の女神、素晴しき季節の導き手だ。俺の弱さを補い、活力を与えてくれる。
フェリシア伯母が好んだ花、フランスが春の麗しさを祝う白く香り高い花が彼の女の手の中で揺れる。彼の女もまた幸運の印として俺に鈴蘭の花を差し出した。




