三
「復活祭を迎えて巴里はこれからが花盛り。素晴らしき季節の始まりだ」
花々の季節は誰もが喜びを表す。春の風に雪は融け、川音は強く歌い、鳥は番を求めてさえずり、飛翔する。沈黙する何者もない。
「牡蠣は食べ納めですかな?」
機知のつもりか、笑い声が拡がった。そればかりは確かに惜しいが、今の俺には生牡蠣は重い。
「大尉さん、テレーズは最近別のニュースに興味を奪われているから、あなたの従妹さんのお店への関心は薄れている、すぐに頭から消え去るわ、大丈夫よ」
ラ・パイーヴァの元同業者のエステル・ギモンが俺に囁いた。
「有難うございます、マダム」
「テレーズの関心が何か知りたい?」
知りたいと思わないが、否定するのは不粋と感じて、肯いてみせた。
「オーストリアの皇妃様、いつご出産なさってもおかしくない時期だから、お生まれになるのが男女どちらか、暇な人たちと賭けをしているの」
声に出さなかったが、顔には呆れた表情が出ただろう。夢中になるほどの内容と思えない。まあ、ベルナデットにしつこくされるよりはずっといい。
「赤ん坊の性別なんて男か女かのどちらかに決まっている。将来どんな癖の人間になるかは育ってみないと判らない。ご立派なオーストリア皇帝の末の弟大公は女の服を着て、男と付き合うのが好きってきている。皇子様も色々だからね」
確かに……。機知もこれくらい鋭いと、感心するしかない。
「オーストリアには既に皇太子がいらっしゃいますから、ある意味気楽なのでしょう」
他国の王侯とはいえ不敬な態度は褒められない。俺の言葉をエステル・ギモンは引き取った。
「ま、めでたいには違いないさ。
わたしみたいな皮肉屋の年寄りには、国の行末や子ども養育の仕方が性別に左右されるのはお気の毒としか感じない。人には矯められない性質があるからね。ほら、バイエルンの王様だってそうだし、スペインの女王様の王配だってホントは女より男がお好きでいらっしゃって形ばかりのご夫婦だと噂される」
複雑な国際関係や政治経済よりもそんな話題が頭に入りやすいと、エステル・ギモンは、笑う。マダムは賭けに加わっているのですか? と尋ねた。いいえと彼の女は答えた。
「賭けをするにしたって二択しかないのは詰まらないじゃないか。ルーレットやカードの方が盛り上がる」
「同感です」
会話の妙手と話が弾むと、気持ちも落ち着く。心なしか胃腸への負担が消えたようだ。
どこの国でもよいことばかりでなく、解決の難しい問題を抱えている、フランスもそうだし、フランス皇妃の故国スペインだってそうだ、とエステル・ギモンは小咄をするようにさらりと話す。
「十五世紀のカトリック両王と言われた一方の女王様のイザベル1世の時の王家のお名前はトラスタマラでしょう? そのごイザベル1世が崩御して娘のファーナが女王で、そのファーナがハプスブルクの皇子で美男のフィリップと夫婦で、その息子が次のスペイン王で、ハプスブルクの皇帝で」
「ええ、その後のスペインハプスブルクのカルロス1世」
スペイン王カルロス1世は神聖ローマ帝国のカール5世、オーストリアは弟のフェルディナントに引き継がれた。ハプスブルクは広大な領地を治める為に二家に分かれたのだ。
「そうそう、でもその後、十八世紀に入るか入らないかぐらいでカルロス2世がお世継ぎを残さず崩御して、政略結婚でスペインの王女様がフランスの太陽王の王妃になっていた縁で、太陽王の孫がスペイン王を継いだ。どうしてウチじゃないんだとオーストリアが文句を付けきて厄介なことになったけど。ナポレオン1世のお兄さんがスペインの王様になったこともあったけれど、またブルボン――あちら風の発音だとボルボンと言わなくちゃいけないんだっけ?――の王様の血筋になった」
と、スペインの王統が語られた。




