二
復活祭直前の週は聖週間と呼ばれ、イエス・キリストの受難と復活を追体験する為の宗教行事が催される。勿論故郷の昴でも行われ、幼い頃から目にし、参加してきた。異国の風習、カトリックの信仰の許で行われる行事はどのような違いがあるのかと、正しい信心の在り方はどうとか四角張ったことはなしで、見詰め、過した。信仰に違いはあれどキリスト受難の聖金曜日は厳かな気持ちで祈った。流石に聖土曜日に徹夜で祈りを捧げはしなかったが、復活祭は降誕祭と同じく、神の恩寵を全身で感じ、祈りを捧げる大切な日。清新な気持ちになれる。
清々しさに包まれ、春の陽光にあらゆる自然の芽吹きに触れ、親しい人たちとのやさしい触れ合いに恵まれて、自分もまた神の創造物の一つに過ぎないと謙虚さと素直さを幼子のように取り戻した気分でいた。
謝肉祭後の灰色の水曜日からの斎は聖土曜日で終わりだ。節制した食事はもうしなくていい。何よりもイエス・キリストの復活を祝っての祭りの日だ。祈りを済ませれば誰もが陽気に誘われて外に出る。兎の扮装をした者が卵を配るのはどこもでも見る光景だ。出店で一つ焼き菓子を買うと、店先に立つ可愛らしい子兎が卵をくれた。
寄宿先で渡された卵を部屋で食べようと机の角に軽く打ちつけてみたら、中身がどろりと零れてきた。茹で卵でなく生卵かよ。大慌てで近くの茶器に入れた。
これは単に面倒がって茹でずに配ったのか、悪意ある悪戯なのか、洗われたはずの心が少し淀んだ。
気を取り直し着替えて、招待された宴に出向いた。これまでも四旬節に相応しい食卓を囲んできたわけではないのに、大斎を乗り切った御託と共に相も変わらぬ豪勢な料理の皿が並べられる。迷える子羊は捕らえられて、復活祭のご馳走と化した。子羊は香草をすり込まれてこんがりと焼かれ、更なる香草と香辛料が添えられている。
見るからに脂っこい。
食べる前から食傷しそうだ。
「遠慮しないで召し上がってください」
女主人は実ににこやかだ。給仕に控えめに盛り付けてくれと言ったのが聞こえたようだが、俺の食事にうるさく言ってこなかった。彼の女が言いたいのは別の事柄、さりげなく話題に出してきた。
「今晩のお食事に従妹さんをお連れになっても構わなかったのに。どうやらいつもお忙しいのね?」
「華やかな場には気後れする性格ですし、お祭りの日は従業員への慰労も兼ねて自宅でささやかな晩餐を行うと決まっているのです」
まるきり嘘ではない。
「従業員への心配りが行き届いているのですね」
法律家という触れ込みの男性が感心したよう漏らした。
「あら、お祭りの日も働く場所に捕まえられているのは逆に気の毒な気がしますわ」
女主人――ラ・パイーヴァの言葉はやさしげでいて、棘が隠れている。彼の女が誰かに雇われて働いた経験があるのかは知らない。
「職種によりけりですよ。大尉のご親戚は洋裁店なのでしょう? それなら若い女性が多い。誘惑の多いこの巴里なら家庭的な職場は有難がられているかも知れません」
ラ・パイーヴァは口の端の片方を上げた。
「お祭りに誘ってくれる恋人がいたら優先させてくれるのかしら?」
「通いもいれば住み込みもおりますし、実家で祭りを祝うと言われれば雇い主は止められないでしょう」
俺の答えにラ・パイーヴァが満足したかどうか。
「実家の親兄弟という名の恋人や後援者かなんて、確認しないという訳ね」
後援者なんて言葉を出して欲しくないが、これは元高級娼婦の発想なのだろう。あえて反論しない。
「華やかな都会で暮らせば違う階層の人間の生活振りを目の当たりにする機会もあるし、魅力ある異性との出会いにも恵まれる。
若い娘が小鹿のように跳ね回るのを誰にも止められやしませんよ」
冗談とも皮肉ともつかない言葉が聞こえた。仰言る通りで、と俺は愛想笑いをした。




