一
春のごとくやさしく温もりを与えてくれる我が女神のお陰で、巴里での初めての季節は心地よく過せている。街を歩けば名を知らぬ道端の花に目が留まり、今まで消えていた植物の香りを感じ取り、自然に浮き立つ気分になる。昼間に外を出歩くと上気しそうな暖かさだが、油断は禁物。日が傾くと同時に一気に冷え込む。着こんでいないと凍えてしまう。
「四月に入ってまた雪なんて降るから寒さの戻りがあるかと心配したけれど、一日で終わって安心したわ」
復活祭は薄曇りといった空模様か。謝肉祭とは違った山車や衣装で大通りを練り歩く人々を『ティユル』の窓から眺めた。身動きできなくなりそうな人混みは謝肉祭の時と同じで、始めから祭りに参加する気がない。それでなくても人混みは空気が悪いだの、風邪をうつされたらどうするだの、咳が出たら周りが嫌がるだの、ベルナデットは次から次へと心配ごとが頭に浮かぶようだ。
「四月ならまだ雪が降ったって不思議ではないし、いくら何でも冬に逆戻りはしない。マ・シェリに掛かったら、俺は洟を垂らした子ども扱いだ」
「あら、わたしはあなたのお母さんじゃないわ。なるつもりもない」
つん、唇を尖らせてみせた。
「ああ、あなたは俺の母親なんかじゃない」
ベルナデットに手を伸ばし、鼻先と唇を突いた。ベルナデットは澄ました顔のままだ。俺は苦笑し、抱き締め、口付けた。
「これは母と子の口付けじゃないだろう?」
「そうね」
ベルナデットはうっとりと俺にもたれた。
「日曜日なのに夜は仕事でお出掛けしなければならないなんて詰まらない」
「祭日は祭日で顔を出さざるを得ない。四月一日は一緒に遊んだのだから、我慢してくれ」
仕方ないわね、とベルナデットは寂しそうに言った。お互い仕事の都合を無視して好きにしていられる身ではない。ベルナデットはやはりお祭り用の衣装を縫い上げたら、春の装いの為の誂えなど、これから仕上げなければならない衣装がある。俺だとて春の行事で大使の護衛、議会や市井の情報の収集と報告、気が進まないから行かないとは言えない。復活祭の宴に招待されては断れない。
「気兼ねなく一緒にいられるようになればどんなにいいかしら」
ふとベルナデットが呟く。可愛い女性の我が儘、かも知れない。好きな男が常に側にいて欲しい独占欲。それとも暗に結婚したいと伝えようとしているのか。物言わぬ麗人の多弁な風情よ。なんでも望みを叶えてやりたいとおかしな気分に誘われる。
あまり考えないことにしよう。
今果たさなければならない役割だけで精一杯。体力をしっかりと取り戻すのも大切だ。
「モン・シェリ、大好きよ。次の休みに必ず会いに来て」
「勿論だ」
伯母やマリー゠アンヌ、ルイーズたちにも別れの挨拶を告げ、『ティユル』を後にした。




