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君影草  作者: 惠美子
第四十章 春の風は増水を招く
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 三月十九日は四旬節の中日だとかで、仮装してのお祭り行列だ。前日は雨が降ったが、当日は晴でお祭り日和となり、何はともあれめでたい。

 身震いするような寒さは去りつつあるが、人混みは用心と見物は止め、『ティユル』に顔を見せに行った。伯母の昔話の相手をする。

「三十年以上昔、もう四十年近くなるのかしら? 巴里でコレラが発生して、丁度四旬節の中日のお祭りの時期と重なって、結構な騒ぎになったわ。

 みんなして趣向を凝らした仮装をするものだから、亡者みたいな化粧をして、人を驚かそうと仮面を付けたり外したりをしてみたり、判るでしょう? そういう悪ふざけをしたがる人たちがいるの?

 仮面を取ったら死人みたいな顔をして、ばたりと倒れてみた人がいて、ほかにも亡者のような姿の人がよろよろと手を伸ばしてきて、それがどうやらお芝居ではないと周りが気付き始めて、すさまじい悲鳴。我先に逃げ出そうとする人もいたし、巴里病院に連れて行ってやろうとする人もいたしで、もう大変。

 わたしはその騒ぎに出くわさなかったのだけれど、直接見たって人たちが身振り手振りで教えてくれた。都会ってのは怖いとつくづく思ったわ。でも今更故郷に帰る訳にもいかなかったから、なるべく外に出ないようにして、伝染病が無くなりますようにと一生懸命お祈りしていたわ」

 バビロン通り、今の百貨店のボン・マルシェの近くにある奇跡の聖母の礼拝堂で、修道女が聖母マリアのお告げを受けて作り始められたメダイユが配られ、これがコレラを鎮めてくれたと、現物をわざわざ出して見せてくれた。決して大きくはない。指先に乗るくらいの楕円形で、聖母マリアの姿が刻まれたメダイユ。繰り返し接吻し、額に押し当て祈ったと判る。伝染病の根絶のみならず、若い伯母が都会暮らしで心の支えにしたであろう品だ。

 聖母マリアに関してカトリックほど神聖視はしていないが、聖母マリアの顕現が由来となった品となればおろそかにできない。俺もまたメダイユに敬虔な態度を示した。

「巴里の街並みは今とかなり違う」

「昔が懐かしいですか?」

 伯母は少し考えてから首を振った。

「誰だって年を取れば若い頃に戻りたい気持ちは少なからずあるものよ。でもあの頃の巴里は道が狭いし、小道に入ればゴミだらけで悪臭がしたし、物騒な人たちが住んでいるんじゃないかっていう古いお屋敷が残っていたしで、良かったばかりではなかったわ。

 マリー゠アンヌやベルナデットの小さかった頃と比べたら、ルイーズは建て直された巴里しか知らないのだから仕合せよ。

 コレラだって街の清潔が保たれれば発生や感染を防げるのではないかと言われるようになって、その通りに整備されてきた。こればっかりは皇帝陛下のお陰でしょう」

 巴里へ上った人間は華々しさではなく、汚さに驚くと昔の紀行文にあるのは本当だ。巴里以外の場所で育ったナポレオン3世が他国の諸都市に劣らぬ近代都市に生まれ変わらせようと計画し、オスマン知事に実行させたのも納得する。

「その皇帝陛下もねえ、大分くたびれているみたい。今後はどのようにお働きになることやら」

 昨年はルクセンブルク問題やメキシコ外征の失敗があった。外交で積極策に出る気力があるかどうか。

「今年は内政重視で行くのでは?」

 当たり障りなく答えた。

 ベルナデットは気遣うように、苦さの混じった眼差しをくれた。

「母の長話に根気よく付き合ってくれて、有難う」

 伯母は娘の言い方に怒った素振りをしてみせた。

「何もそこまで言う必要はなないでしょう? あなただってオスカーの話ばかり長々と聞かせるじゃないの」

 ベルナデットはたちまち真っ赤になった。親子の心情というのは今一つ実感できない。子どもの頃と違い、成人してからどう関わるか、色々とあるのだなと、眺めるしかない。

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