五
カーテンの隙間から差す陽光で目覚めさせてもらえたならさいわいなのに、現実はそういかない。朝方の掃除人や配達人の馬車の音に耳聡く気付いて、瞼を開けると薄ぼんやりと部屋の光景が拡がっている。
時計を見、この感じだと今日は曇りかと寝台から出てみた。カーテンを開ければ、予想通りの空の色だ。
大きく伸びをして、ぐるぐると歩いてみた。昨日よりは余程良い。だが油断は禁物。今日一日は大人しくしていた方がいいだろう。
朝食を運んで来たマダム・メイエは俺の顔色や受け答えから、安心したようだ。
「大分お加減が良くなったようにお見受けします。
今日も夕ご飯を差し入れますか?」
大事を取るよりも、食べる楽しみを優先したい欲が出てきた。元気になってきている。マダムに礼を言い、心付けを渡した。
「いいえ、今晩はお構いなく。昨日は有難うございました」
「こちらからご親族にお知らせすることなく済んでよろしうございました」
食事やら自分でできる片付けなどして、とにかく寝たままでいないよう、だが疲れないよう体を動かした。回復しても体が鈍ったでは、同じことを繰り返す。
回復後、定期的な報告で大使館に赴き、帰りに『ティユル』に寄った。
「オスカー、また声がかすれ気味ね」
ベルナデットに指摘された。
「良くなったと思っていたのに、また喉を冷やしたんじゃないの? 大丈夫?」
嘘を吐いても仕方ない。
「まあ、先週ちょっと風邪気味だった。だが良くなった。きっと寒い中出歩いた所為だ。何ともない」
「心配させないでちょうだい。
大使さんの警護や偉い人たちのご機嫌伺いは緊張しっぱなしなのでしょうけど、無理をしないでね。あなたって何事にも全力で打ち込む性格だから、力を抜けるところは抜いたらって思っちゃう」
ベルナデットの思案顔に胸が痛む。
「きっと俺は不器用で、力の抜きようが判らないんだろう」
「サボタージュしろってことじゃないわよ。ずつと気を張っていたら疲れを背負いこむから、全力出さなくてよい部分は加減してって意味よ。あなたの仕事の大変さを判っていないって言われてしまえばそれまでだけど……」
彼の女の言葉に嬉しい反面、不甲斐なくもある。
「ああ、あなたの言うことは判る。
あなたがそんな顔をしなくてもいいように、努力する」
ベルナデットは笑ったが、すぐに表情を引き締めた。
「わたしの為じゃないでしょ! 風邪だの熱だの、苦しいのはオスカーなんだから、わたしのことより自分のこと。大人なんだから、言われなくても判るでしょう?」
真剣に俺を想って厳しいことを言ってくれる。俺は答えず、彼の女を抱き締めた。
「オスカー?」
「有難う。きちんと養生する」
戸惑うようにベルナデットは俺の肩を叩いた。
「いい子ね、オスカー。わたしの言うことをきちんと聞いて、風邪なんか引かないでね。
暖かくなったらまたみんなでリュクサンブール公園でピクニックをしましょう」
「ああ、約束する」
約束をすれば果たそうと気持ちが固まる。それもまた生活の一部。春に向けての楽しみは気持ちの張りとなる。素敵な提案をしてくれたベルナデットにいくら感謝しても感謝は尽きない。風邪をうつしはしないかと口付けできなかった。しかし、強い抱擁で想いは伝わったに違いない。
日差しの柔らかさと風の凍みる冷たさが混じる時節、一旦収まったはずの咳が再び喉と胸を揺さぶるようになった。焦りにも似た痛みが混じる。
長引くと厄介だ。




