四
暦を改め三月最初の日が日曜で、空は晴となると、得をした気持ちになるのが不思議だ。命を呼び覚ます陽光に飢えている。少しでも日光を浴びたくて外に出た。体力が落ちたのでとにかく野外で体を動かしたい。寄宿先から歩いてリュクサンブール公園に赴き、ぐるりと回る。冷たい大気が鼻や喉を刺激するが、ずっと歩いていると体の中に熱が生まれる。熱が血潮に乗って巡り、冷えた四肢や呼吸器の力を蘇らせる。こうして動いていても咳が出ない。やっと以前の体調を取り戻せたと足取りが弾む。
陽の光と温もりを求めるのは誰しも同じで、日曜日なのも手伝って、人出が多い。歩き疲れてベンチに座る人は着ぶくれて、寒そうだ。じっとしているとすぐ冷えが戻ってきて、身に堪えるだろう。
動き回っている分には日差しのお陰もあって、重い外套の下は汗ばむくらいだ。しかし、日陰になったり、立ち止まったりすれば、季節はまだ冬かと恨めしくなる。軽い外套にすればもっと楽に動き回れただろうか、いや、いつお天道様が雲に隠れるか判らないのだからこれで良かったのだと、一人あれこれ考えてしまう。
寄り道をしながらの散策を終えて帰宅した。汗をかいたので、すぐに着替えた。それでも盛大なくしゃみを三発。日差しを入れた部屋の中はきちんと暖めた。体を冷やさないようにしなければ。だが、夕刻、寒気を覚えた。
これはまずい。自分でも幾らか判断できる。
これ以上悪化させない為にも暖かくして早寝するしかない。
翌朝、朝食を運んで来たマダム・メイエの気配で目を覚ました。起き上がってみて、今日は外に出られない、とすぐに判った。無理に動けばまたとんでもない発熱を引き起こす。
俺の体調に気付いたマダムが『ティユル』に知らせようかと言ってきた。彼の女なりに気を利かせたつもりなのだろう。
「いいえ、今日のところは様子を見ます」
「大分具合が悪いようにお見受けしますが?」
「この前の薬が残っていますので、それを飲んで今日は大人しくしています」
「そうですか? ではご夕飯も差し入れます。何かご入り用の際は遠慮なくお申し付けください」
そう言ってマダムは下がった。
強がりではない。風邪の引きはじめくらいで大事にしたくないだけだ。ベルナデットを心配させたくない。彼の女の仕事の邪魔だってしたくない。
折角咳だって収まってきたのに、なんてことだ。三月に入ったばかりで、確かに春が訪れたとは言えない。日差しに惑わされて汗ばむほど歩き回った俺が莫迦だ。士官学校や南部軍団で雪中訓練もこなしてきたが、三十を前にしてここまで衰えたか。
まったく嫌になる。
愚痴を言っても始まらない。
長引かせない為にもさっさと栄養を摂って休もう。
薬の所為か微熱の所為か、幾らかうつらうつらしたが、眠れるものでもなく、退屈だ。だが、本を読もうとしてもすぐに手が重く、頭も疲れた。こんな時にベルナデットがいてくれたら、姿を眺めているだけで心が慰められたのに、とつい先々月のことを思い出す。
ベルナデットが甲斐甲斐しく世話してくれたからではない。側にいてくれるだけで穏やかな気持ちになれた。心底俺を心配し、回復して欲しいと願ってくれた気持ちが嬉しかった。彼の女がどんなに俺を大切に思ってくれているか、身に染み、彼の女の為にも早く良くなりたい、安心した笑顔を見たいと心から思った。
それなのにまた風邪を引くとは情けない。ベルナデットに要らぬ心配を掛けたくない。引きはじめのうちに全快させよう。それでなくても仕事に差し支える。伯林の参謀本部で立てる戦略にわずかでも貢献できるよう、巴里の情勢や地勢を伝え続けるのが俺の役割。遊んで禄を食む気はさらさらない。
俺を必要とする者たちの為、そして俺がこの手で得られる生の手応え。失う訳にはいかない。
夕闇が迫る頃、マダム・メイエが夕食を運んできてくれた。野菜とヴルストのごった煮とパン、見た目よりも中身と食べやすさ重視だ。
「お加減に変わりがないように見えますよ」
心細くなるようなことを言ってくれるな。
「明日の朝もこの調子で変わらないのなら、医者なり、なんなり考えます」
食べて、眠る、今はそれしかない。
夜よ、どうか安らかな眠りを与えてくれ。朝日よ、どうか健やかな目覚めを与えてくれ。まったく柄にもない台詞だ。




