三
ベルナデットは外まで見送りで付いてきた。階段を一緒に降り、扉を開ける俺に語った。
「こちらも客商売だし、なんていうのかしら、大っぴらには言わないけれど、そんな身から良くて奥様、そうでなくとも住まいを与えられて暮らす愛人、そんな女性からの注文で服を誂えることはあるの。まあ、意匠の相談も採寸も仮縫いも女性がいてなんだけど、注文主は男性だし、請求書の送り先も支払い後の領収書に書く名前も同じ男性。
ただ、服を着る女性の前身についてあれこれ言わないだけ」
注文主が堅気なら断りようがないし、支払い確かなら文句はない。周囲が詮索しようとも洋裁店には関りなしと批判されないと言いたいのだろう。前職を悔い改めて引退した女性にいつまでも石を投げつけようとするのは、癒えぬ傷口のかさぶたを剥ぐ残酷を己に突き付ける。
「ラ・パイーヴァほどの有名人になれば、静かに過そうとしても注目を集めてしまうから、そうともいかないのでしょうけど」
ラ・パイーヴァは後援者の財力に飽かせて、宴会三昧の派手な暮らしをしているから目立つのだと思うのだが、そこは反論しない。
「女侯爵がわたしに興味を持ったのは貴族の血を引く者が労働者をしているとか、そういったことなのかしら? もしそうなら、高貴な人とお付き合いしている割に趣味が良くないわね。父と母について変なこと想像しているのかしら?
母が代わりに乗り込んでもいいと考えたのももっともね」
胸に手を当てて大きく息を吐くと、ベルナデットは自らに言い聞かせるように呟いた。
「はじめは怖いと感じたけれど、わたしには味方がいるし、後ろ暗いことはない」
俺はベルナデットに手を伸ばし、頬に、唇に接吻した。
「そう、俺がいる。あなたは何も恐れなくていい。何も心配はない」
「わたしが心配なのはあなたよ」
強く抱き締めて、もう一度接吻した。
「俺は元気だ」
判ったから無茶はしないでよ、とベルナデットは照れた。お互いに離れがたい。ベルナデットがどれほど大切で、守ってやりたいか、彼の女に訴えたい。この手と手を取ったままで行動できれば素晴らしいのに、と心の底から願ってしまう。また会いましょうと誓い、帰途に就いた。
用事を果たし、ベルナデットといっとき過せ、曇天でも胸の内が晴れ晴れとした。
伯母の言葉が蘇り、軽い足取りがふと止まった。このままテュイルリーの向こうのルーヴルにある教会に行って祈るか。浮き立った心を静められるか、信仰心に試されているような気がした。天国の門をくぐるのは針の穴を駱駝が通るよりも難しい。
喜捨と祈りはいつでもできるし、心の在り方に過ぎないと主張しているのが言い訳めいて、自分が醜く感じられた。
傲慢の罪を犯すほど自惚れていない。自分と深い交わりを持つ人たちを巻き込まない為にも敬虔さは忘れてはいけない。
復活祭までの四十日間、四旬節すべてを肉や卵、乳製品無しで過せるほど、出家であらざる者は信心深くも清貧でもない。謝肉祭が終わった翌日の灰の水曜日の今日くらい慎ましくしていよう。週の途中でもあるので、日曜日まで贅沢しなければ、神様もお目こぼししてくれる。そうに違いないと俗人が信じるから、四旬節の間、肉屋も牛乳配達も廃業せずにいられる。何せヨーロッパはキリストが布教していた土地よりも北にある。冬の威力は弱まりつつあるが、粗食では身が保たない。
礼拝堂にお籠りしてお祈りしている方々には悪いが、日々あくせく動き回っているのだ。我慢比べは自慢にならない。
日曜日になればもう三月。気温も空の色もさして変化を感じなくても、暦が進むと春に近付いたと気分が変わる。もうじき重苦しい厚着とおさらばできる。光の都での初めての春の到来を味わえる。
歩を進めるべき道は目の前に真っ直ぐに伸びている。




