一
灰の水曜日、前夜寝付くのが遅くなった訳ではないが、マダム・メイエが朝食を持ってきてくれた後も、薄墨を流したような空間の中、ぼんやりとしてまた眠ってしまった。寝過ぎはよくない。活力をどこかに失くしてしまう。
カーテンの向こうの空は頭の中と似通った曇天だ。
プロテスタントの教会に行って祈りを捧げる敬虔さは、億劫さに負けた。聖壇に向かわなくても聖書を読み、神に祈る心があればといつもの言い訳をして、『ティユル』に行かなければと時間を見た。
今日も休みにしているかきちんと聞いてこなかった。休みにしているのなら早目に教会に行っているかも知れない。店を開けているとしても昼休み――昼食を終えてお茶を飲みながらお喋りをしている頃――を狙っていけばベルナデットと話ができるだろう。『ティユル』に到着する時間を逆算して、案外のんびりもしていられないと身支度を整え、朝食を摂った。冷めていても食べれば体は活性化する。あとは街に出て補充しながら出掛けよう。
コリゼ通りまで行くと、店は昼休み中の札を掛けて閉まっていた。いつものように裏に回った。
「ご機嫌よう、お邪魔します」
「いらっしゃい。こんにちは」
上の階から声が聞こえた。昼食が終わっているといいが。
ベルナデットが足早に降りてきた。
「いらっしゃい、モン・シェリ」
「出迎えてくれて有難う、マ・シェリ」
ベルナデットを抱き締めた。
「お昼ご飯は?」
「済ませてきた」
「では食後の一杯でも」
と、上の階の食堂に行った。食後のお喋りに花を咲かせていたようだったが、俺が来たと見て、お針子たちが皿を片付けていた。
「ご機嫌よう、寛いでいてください」
「いえ、丁度片付ける時間でしたから、ご遠慮なさらずにいらしてください、ムシュウ」
「どうぞこちらに」
と伯母とマリー゠アンヌに差し招かれて、空いている椅子に掛けた。
「今日はお休みしなかったのですね?」
「教会には午前中に行きました。オスカーは? プロテスタントの大きな教会だとルーヴルの方かしら?」
「帰りに寄ります」
本当かしらなどとは言わず、伯母もベルナデットも可笑しそうにしていた。出されたお茶を飲み、長居はよくないと、俺は用件を述べることにした。
「実は、私が職務上の付き合いで出入りしている屋敷の女主人にラ・パイーヴァと呼ばれているご婦人がいます。彼の女の噂はお聞きになったことがあるかと思いますが、今はプロイセンのヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵の後援を受けてシャン゠ゼリゼ大通りの邸宅で暮らしています。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵はプロイセンの有力貴族ですし、その後援を受けている女性の屋敷となれば自然プロイセン人の巴里での溜まり場になります」
ベルナデットは半ば驚き、半ばついにその話をしてくれるのかと納得したような顔をしている。伯母もマリー゠アンヌもじっと聞いている。
「それで、私も上司であるゴルツ大使の紹介を受けてシャン゠ゼリゼの屋敷に出入りしています。ヘンケル・フォン・ドナースマルク伯爵はデア・ゴルツ大使の大切なご友人です。
屋敷の女主人は客を招待して宴を催すのが好きです。私もよく呼ばれて、まあ、断る理由がなければ参加せざるを得ないのです。それで、その女主人が私の母方のリンデンバウム家のことを知って、この店のことまで興味を持ったのです。
『ティユル』に服を注文してみようか、私の従妹を屋敷に招待してみたいとか、言い出しまた。私は断りました。仕事と私事は別ですから。
女主人は私の言い分に納得の意を示しましたが、もしかしたら彼の女が何かしらの連絡をしてくるかも知れません。伯母上方を驚かせたらいけないと思い、お知らせします」
「教えてくれて有難う。でもなんて言って断ったの?」
「百貨店に既成の服を卸していて、ミシンの導入も検討している店だ。マダムの好みに合うかどうか判らないし、店は忙しいと、伝えました」
伯母は小さく笑った。
「ラ・パイーヴァ女侯爵はもうご商売はしていないし、もうお年だから肌を露わにするような奇抜な衣装は必要ないでしょう。普段着くらいならうちでも作れますよ」