九
さて、なんと答えよう。思案する間を与えず、悪いとは思ったのだけど前置きしてと女主人は続けた。
「大尉さんの従妹さんに興味が湧いて、グイドにカレンブルクのリンデンバウム伯爵家の詳しい話を教えてくれと頼んだの。アレティン大尉の仰言る通り、あなたの母方の伯母様が伯爵家の最後のご当主。あなたの伯父様に当たる方は巴里でお暮しになっていたのですってね。
あら、お気を悪くしたかしら?」
悪いと思ったのなら実行しないでもらいたかった。貴族の長男が家督を継ぐのを嫌がって出奔したのだから、貴族社会では体裁が悪いのは事実。しかし、俺の両親の結婚だって世間体からしたら後ろ指を指されるようなものだった。
だが、俺が不快に感じるのは親の世代の不始末ではない。ラ・パイーヴァの好奇心と追求だ。ベルナデットやマリー゠フランソワーズ伯母を仕事に巻き込みたくない。
「いいえ、伯父は伯爵だった祖父より先に亡くなりましたから。ええ、フェリシア伯母以外の子に先立たれたのですから、伯母が家を継ぎました」
「その後は誰が継ぐかお話が出なかったのかしら?」
「さあ、知りません。そういったことに口出しできる身ではありませんでした」
フェリシア伯母が家名の存続を望まなかった。国王が相続に介入するほど重要な役割の家でもなかった。
自分がどんな顔をしているか知らないが、ラ・パイーヴァは俺の反応をじっと観察している。屋敷の女主人に逆らわないだけで、心中で炎を揺らめかせているのを感じ取っているに違いない。
「勝手に調べてしまって怒ったかしら?」
「いいえ、事実ですから」
良かったわ、とラ・パイーヴァは嫣然とした。数々の男性を惑わしてきた微笑みは一瞬俺を驚かせたが、見直してみれば五十代の女性の愛想の良さでしかない。
「ねえ大尉さん、あなたの従妹さんは巴里で生まれて巴里でお育ちなのでしょう?」
「ええ、そのようですね」
「ご存知ではないの?」
「何しろ、こちらに赴任してきて初めて会いましたから、一から十まで知っている訳ではありません。もしからしたらマダムの方がよりご存知なのでは?」
果たしてどこまで調べて耳に入れているのか。俺からベルナデットについて教えてやる必要はない。
「さあ、どうでしょうね。グイドはゲルマンの貴族の名鑑の通り一遍のことくらいしか判らなかったと言っていたわ」
「ご謙遜を。とっくに断絶した伯爵家についてきちんとお調べになっていらっしゃる」
ラ・パイーヴァにちらりと皮肉の笑みが見え隠れした。
「本当に。庶民の家で誰が亡くなろうと、一家全員がいなくなろうと、教会か役所で記録して、それっきり顧みられない。その地方に人間が何人いるかの目安に過ぎない。
でも王族貴族となったら事細か。こうして歴史の学者でもないのに調べてみる」
彼の女の皮肉に乗せられたように俺も口の端を上げた。しかし何も気の利いた返しなどしなかった。ただ黙って次にどのようなことを言い出すか、待った。睨み合い、というほどお互い目付きは厳しくないが、和やかさを装いつつ、どちらが先に口を開くかと、我々の間を天使が何回も通り過ぎて窺った。やがて、ラ・パイーヴァが話し掛けた。
「コリゼ通りのお店ならここから遠くないわ」
そこまで突き止めていて、俺に喋らせようとしていたか。
「ええ、そうですね。シャン゠ゼリゼ大通りを北に折れる通りですから」
焦れた様子で彼の女は言った。
「従妹さんのいるお店は洋裁店でしょう? 一度注文してみようかしら?」
「それはどうでしょう」
俺の言葉にラ・パイーヴァは頬をぴくりと動かした。
「伯母の店は百貨店、ボン・マルシェに型紙通りに縫い上げた服を卸しています。アメリカのミシンを導入して経営の効率化を考えている。マダムがお召しになるようなドレスは作り慣れていない」
ミシン? とラ・パイーヴァは問い返した。
「縫製する機械です。縫い上げる時間を短縮できて量産できる」
どういう客層の洋裁店か、それで理解できるでしょう? と言ったつもりだ。工場で作られるような服と想像すれば、高級品志向の女性は興味が失せるだろう。案の定、ラ・パイーヴァは眉間の辺りに思案の色が見え隠れした。
「どれくらいの早さで縫い上げるか面白そうではあるけれど、それできちんと身にまとえる品が出来上がるのかしら」




