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君影草  作者: 惠美子
第三十八章 春は遠からじ
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「謝肉祭の行列で山車(だし)に乗せられる牛に付いて行こうとしても人の波に揉まれるだけで、ありつけるかどうかなんて判りゃしない。それよか、祭りに繰り出した連中を見物していようぜ。上手い具合に迷子の女の子を捕まえられるかも知れない」

 それがいい、そうしよう、と気勢を吐く学生を無視して話がまとめられた。

 夕方、大使館で王宮に伺候するのに相応しい服装に改めると、気持ちも改まる。

「体調に問題はなさそうだね」

 シュタインベルガー大佐がいつものように俺の服装を検めた。

「お陰様で、こうして夜の外出に差し支えありません」

「諜報で動いている者の連絡が長期に途絶えても、探しはしないのだが、皆が気に掛けていて大尉は幸運だったな」

「ええ、さいわいでした」

 大佐がヤンセン曹長を様子見に寄越した件に関して感謝は済ましたのに、くどくど言いたがる。一言居士は面倒だ。うんざりした色は見せずにもう一度礼を口にした。大佐はそれで満足したかどうか判らない。

「まだ夜は寒いから注意したまえ」

 ありきたりの台詞で締め、解放された。

 ゴルツ大使はまた別のことを言う。

「ヤンセン曹長からの報告を聞いて、大佐は心配していたよ」

「どこかに潜入した末に、不慮の事故で野垂れ死んでいるのではないかと考えたのではありませんか?」

 大使は面白い冗談を耳にしたかのように笑った。

「大尉も人が悪い。シュタインベルガーはあれでも人員への目配りは細やかだ。そう言ってくれるな」

 はあ、とためらいがちの了承を表した。

「暗い顔はするな。明るく行こう。

 病み上がりのやつれ具合がご婦人方に受けるかも知れない。気は抜けないが、楽しむことだ」

 と、どこかの元高級娼婦と似たことを言い、一片の曇りも抱いていない晴れやかさを身にまとって、誰もが本心を隠して挨拶を交わす夜会に参上した。

 テュイルリー宮の中でささやかれる話題も巷と変わらず謝肉祭についてだ。どのような装いをするか、どのような供応を行うか、街角よりも幾分値が張るくらいが違う。

「プロイセンの軍人さん、なんだか元気がなさそうよ」

 魅力的なご婦人方が近付いてきて、話し掛けてきた。

「充分元気です。お気遣い有難うございます」

 いかにも警護の仕事中といった(てい)で答えると、ゲルマンの方はまじめねえと、どこが可笑しいのか判らないが、堪えきれないといった感じで笑う。きっと酔っているのだろう。気にしない。話し相手になる気がないと察したようで、ご婦人方は離れていった。

「四月頃にオーストリアの皇妃様が四人目のお子様をご出産なさるのですって?」

「ええ、フランスの皇妃様と違ってお若いですものねえ。結婚なさったお年も早かったですし。何といってもバイエルンの王家の血を引く公爵家のご出身ですから」

 遠回しにフランス皇妃の悪口だ。ナポレオン3世の妻になってくれる国内の名門貴族や国外の王族がいなかったからの結果だろうに、そこは都合よく忘れている。まあ、皇帝がスペイン出身の伯爵令嬢の容色に惚れこんで、モノにする為に結婚したと後々まで言われるのは気の毒なのかも知れない。

 クー・デタで皇帝位に就いた男と、美貌と向上心で皇妃の座を射止めた女の夫婦は今や過去の輝きはなく、老け込み、くたびれた姿をしているのは覆い隠しようもない。

 万国博覧会は成功で終えられたが、これから外交と経済の面での失策をどのように挽回するか、その力があるのか、不安と祈りに似た期待の目が向けられている。

 四六時中周囲からの注視を受け、やたらと気苦労が絶えない、王様や皇帝、宰相と呼ばれる地位に就きたくないものだ。大使館付きの駐在武官も楽しいと言い難いが、まだマシだ。少なくとも謝肉祭の内の一日くらい、ベルナデットと共に過すのを咎められはすまい。

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