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君影草  作者: 惠美子
第三十八章 春は遠からじ
383/486

 朝日が差す時間が少しずつ早くなっていると目覚めで気付き、しぶとく居座る冬が去るのは近いと、慰められる。夜会に出席するのだから朝寝を決め込んでもよかったのに、しっかりと目が冴えてしまった。共寝する相手もいないのに寝床でくずぐずするのは(しょう)に合わない。

 しかし、寒さが堪える。宮廷での舞踏会は夜からなので、準備の為に大使館に行くのは日が落ちる前でいい。時々喉がざらついて咳が出るが、前より大分良くなった。紫煙の漂う広間にいてもそうそう見苦しい(ざま)にはなるまい。

 街のカフェに行き、下宿先での暖房費が無くて節約しているのか、コーヒー一杯でテーブルに居続ける学生たちの駄弁を交わすのに耳を傾けながら日中を過した。政治、生活、勉学、恋愛、将来、話題は多岐に亘り、しかし、皆同じように不満を持ち、悩んでいる。

「皇帝がクー・デタを起こした時に異を唱えて国外追放や流刑になった共和主義者が恩赦で戻ってきて、何をしているんだろう。初志貫徹の姿を見せて欲しいよな」

 ユゴー先生は? と呟く奴がいる。小説家のヴィクトル・ユゴーはナポレオン3世のクー・デタに反発を示し、以来、フランス本国外で暮らし、帰ってこない。

「恩赦を賜ったって言ったって目を付けられているのは変わらないから、捕まりたくなかったら大人しくして細々と暮らしているんだろう」

「誰にでも雌伏の時期はある。そのうち派手にぶち上げるさ」

「バダンゲが大統領から皇帝になったのっていつだよ? 俺たちがお袋の裾にまとわりついていたような時分だろう?」

 ナポレオン3世の不名誉なあだ名を出しつつ穏健な発言をする学生に、威勢のいい学生は自分の思想が一番優れていると言わんばかりに言う。

「現状が変わらないなんて思い込むのは奴隷と同じだ。我々には革命を起こすだけの勇気と知略がある」

「1851年のクー・デタの朝、共和党の代議士たちが市民に呼び掛けても立ち上がらなかった。理想よりパンと安全を優先したんだよ」

 肯く者がいる。

「フォーブル・サン゠タントワーヌで共和党左派の代議士たちがバリケードを築いていたとこに軍隊がやって来た。見ていた市民は逃げ出そうとする。

 代議士の一人ボダンが声を掛けても、「あんたたちの二十五フランの日給を守る為に殺されたくない」と言われた。ボダン先生は「よし! 日給二十五フランの為にどうやって死ぬかよく見ていたまえ」とバリケードの上に立って「共和国万歳」」

 聞いていると中々の話芸だ。

「あわれ、軍隊からの銃撃を受けてボダン先生はバリケードで命を落とした。お仲間の議員さんたちは、怖くなんかない、と頑張って逮捕され、市民たちは今度こそ逃げ出した。

 ルイ゠ナポレオン・ボナパルトのクー・デタは着々と進み、今や皇帝だ。

 それから皇帝陛下は巴里の大改造やら経済のテコ入れやらしてくださっているじゃないか」

「元から居た者を立ち退かせて、幅の広い道路を通して、バリケードを築けないようにしたんだ」

「日々人口が増える世界の首都だ。中世そのままの城塞都市じゃいられない。城壁も邪魔なら古くて狭い道路も不便で不潔。親父の世代の巴里はゴミ溜め同然、便所と変わらなかったっていうじゃないか」

 今も似たようなものだろ、とからかう声がする。威勢のいい学生は怯まない。

「年食った過去の革命家の行動を待ってちゃいけないんだ。俺たちが将来、このフランスをしょって立つんだ」

 演説を始めようとするのを無視して、どこそこのお針子は俺に色目を使っていると別の話をする奴がいる。仲間内で大言壮語をするのは楽しい。若者の特権だ。場所を選ぶべき話題の区別が付かない分別のなさも若さゆえ。

「日曜日の謝肉祭で、牛を捌いて焼いて食わせてくれるのはどこなんだ? 行けばありつけるんだろ?」

 至極真っ当な意見だ。腹が減っては高尚な思想も、勇壮な計画も続かない。

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