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君影草  作者: 惠美子
第三十八章 春は遠からじ
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 このまま夕食も一緒にと誘われたが、断った。知らせもせず突然来たのだし、仕事があるなら尚更長居はできない。伯母とルイーズにも挨拶をしてから帰ることにした。次に来る時はゆっくりしていって欲しい、と伯母は名残惜しそうに言った。

「あと二週間ばかりで謝肉祭だけど、どこかにお呼ばれしているのかしら?」

「声を掛けられてはいます。ですがまだどうするか決めていません」

 必ず来られると言えないのがもどかしい。職務上の付き合いがあるかも知れないからと、伯母たちも感じ取っているだろう。

「できたらこちらに顔を出して。会えるだけでも嬉しいから」

「そうよ、一緒にまたお菓子をいただきましょう。謝肉祭にはベニエを作るの」

 揚げ菓子(ベニエ)か。生地に果物を詰めたりする、謝肉祭によく供される菓子。ルイーズは肉料理よりも甘い物が楽しみらしい。

「ベニエよりも焼き林檎の方が好みかな」

「来てくれるのなら何個でも作ってあげる」

「有難う。でも一つでいい」

 外に出ると夕陽が今にも消え入りそうで、地面から大気から冷えが身に食い入ってくる。しかし心の内は温かい。伯母の一家は俺の大切な人たち。わずかな時間でも会えればそれだけで心はほぐれ、充たされる。ラ・パイーヴァの屋敷で豪勢な料理に舌鼓を打とうと、美酒に酔い痴れようと、一瞬だ。ラ・ヴァリエール家でのひとときに及ばない。

 セーヌでパティナージュ(スケート)ができなくなっても、陽光はまだ弱々しい。緑が微笑むまでまだしばらく掛かる。春を待つ穴倉の熊のごとく、我が身の為に冬場に街の探索は控えよう。

 移動祝祭日の復活祭の四十日前から身を慎む四旬節が始まる。四旬節の間は肉食を絶つことになっている。肉だけでなく、卵や乳製品も口にしてはいけないが、信心深いカトリック教徒でもどこまで律儀に守っているか知らない。まあ、表向きはそうなっている。で、四旬節が始まる前に肉を与えてくれる家畜に感謝し、肉食を絶つ前に沢山肉を食べておこうと行うのが謝肉祭だ。肉だけでなく、卵やバターなども使い切ろうと、それを材料にした料理、菓子も作られる。

 ベルナデットに訊いたら、真面目に精進料理を食すのは謝肉祭の直後くらいだそうだ。食べ過ぎたから、腹を休めるようなものではないか。穀物だけの食事では日々働いて身が持たないから、そこは神様に大目に見てもらうしかない。どうせ毎日の食事に大量の肉を食べはしないし、街の肉屋が四十日も休業するのは気の毒だ。その間にも家畜を潰さなくても卵や牛乳は生産される。それを食べずに腐らせる方が罰当たり。

 至極真っ当な返答である。

 いつも罪作りな行動をしていても、信仰心は幼い頃から染み付いている。それを思い出されてくれ、悔い改めさせてくれる祝祭は有難きかな。

 清貧も過ぎると言動が極端に走りやすくなる。憂さを適当に晴らし、また罪業の日を送る。生活はその繰り返しだ。

 ベルナデットから報せが行ったのか、アンドレーアスから手紙が来ていた。すっかり忘れていた。慌てて書いたのか、短い。



「  親愛なる乳兄弟へ


 ラ・ヴァリエールのベルナデット嬢から手紙で教えられて驚いた。

 肺炎になったんだって? もう治ったから大丈夫と書いてあって一安心だが、そういうことはあんたからきちんと知らせて寄越せよ。俺たちの仲じゃないか。それに叔父貴にも教えていないんだろう? あっちだってあんたの本宅を預かっているのだから、気を遣ってやれ。叔父貴は生涯勤め上げると言っているが、いい歳だ。安心させてやらないと。

 プロイセンはプロイセンでまたごちゃごちゃしている。

 ドイツ連邦で関税議会の選挙があった。選挙の開票作業の途中だが、宰相閣下の反対派の当選の報が続いている。ビスマルク閣下の予想を裏切る結果になりつつあり、あの宰相殿が弱気になっているとか。ドイツ諸邦、主に南側がプロイセンと足並みを揃える気になっていないのだと、突き付けた感じだ。

 きちんと返事をしろよ。


                           アンドレーアス」



 鯨飲馬食の大食漢で知られる宰相閣下も落ち込むか。さぞや食事も楽しくなかろう。

 アンドレーアスとディナスに近況を簡単にしたためて送ってやろう。

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