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君影草  作者: 惠美子
第三十八章 春は遠からじ
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「いささか痩せたな。若いといっても大病の後だ。暖かくなるまでは用心した方がいい。謝肉祭になる頃には寒さも緩むだろう」

「お気遣い有難うございます」

 謝肉祭は今月――二月の下旬。まだ外套が必要な気温でも、春が間近であるのを感じ取れるだろう。

 謝肉祭の前の週に宮廷で舞踏会があるから、体調に問題がなければ一緒に出席するようにとゴルツ大使に言われ、俺は承諾した。

 一通り挨拶して回り、事務室に戻って近況の報告を伯林に送った。長く穴を空けた後だ、次にどんな連絡が来るだろう。

 久し振りに会うヤンセン曹長はお体の具合はどうですかと尋ねてくれた。

「良くなった。まず足慣らしから始めるよ」

「ちょっと痩せましたね」

 とまた言われた。

「熱があるうちはまともに食べられなかったし、治ってすぐに元通りとはいかないようだ」

「美人に看病してもらったからってすぐに良くなるものでもないんですね」

 俺は苦笑した。

「そんな理由で回復するなら医者は要らない」

「冗談です」

 大尉はなんでも真面目に取るんだから、と曹長は笑った。お大事にと曹長は下がった。大使館での仕事を終えて、真っ直ぐ帰ることにした。ベルナデットは『ティユル』に戻って、帰宅してもガランとした場所に一人。部屋を暖め、出迎えてくれる者はいない。

 人間は一人で生きるものだと判り切っていても、一度知った居心地の良さに去られて、寒さが一層堪える。久々の出勤に疲労を感じた。こんな時は夜に物思うより、さっさと明日を迎えるべく休むのが一番だ。

 朝になれば曇だろうと雨だろうと新しい一日の始まりだ。病で寝込んで以来、夜寝て朝起きる、軍団にいた時と同じ、当たり前の生活を送って、気分が楽だ。市街地の探索をする限り昼間出歩くのに不都合はないが、厄介なのは夜会という奴に顔を出さなくてはならないことだ。いずれラ・パイーヴァの屋敷にも顔を出さねばなるまい。あのご婦人にとって(いや彼の女に限らず社交界に出入りする人間はすべて)起床時間は午後になってから。連日夜会をするのが日課と来ては、招待される側も夜更かしに付き合って日の出にカーテンを引いて寝床に入ることになる。

 朝早くに目覚める癖が付いた今、夜会に出たら眠くなりそうだ。夜会で最後まで起きていられるように、真剣に体調を整えなくてはならない。寒風に撫でられる街路樹は縮こまっているばかりではないはずだ。春に枝葉を伸ばす為に力を地下に蓄えているだろう。それと同じだ。ようやく食事が命をつなぐための義務ではなくなってきた。食べて、動いて、力を取り戻す。

 曇と雨が続いていたが、ようよう晴れた日の午後、シャン゠ゼリゼ大通りのラ・パイーヴァの屋敷に訪ねた。

「ようやくいらっしゃいましたね。お顔を拝見できて嬉しいわ」

 朝、というのはおかしいが――昼過ぎに起きてからの身繕いが上手にできたのか、大変機嫌がよろしい。

「公現祭には差し入れをいただいて、こちらこそお礼を申し上げなければならないと思っていました」

「義理堅くていらっしゃるのね」

 儀礼も大切、このご婦人の屋敷に気軽に出入りできるのも職務上大事。しおらしく振る舞っておこう。

「公現祭と言えば、お菓子を届けさせた時、あなたの従妹がいらしたとか?」

 使用人の報告なぞ聞き流す性格かと思っていたが、そうでもなかった。残念だ。

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