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君影草  作者: 惠美子
第三十七章 むかしはものをおもわざりけり
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 体を清潔にして身なりを改めるとさっぱりして、心持ちも軽くなる。寝台から降りて歩いてみた。踏みしめる足元のふらつきはすぐ消えた。自分の思う通り、足は上がり、体を支えられる。窓際に寄り、窓を開けた。外気は冷たい。その冷たさを深い呼吸で胸の奥まで吸い込む。

 生きている。そしてまだ当分生きていられる。

 そう実感した。

「あなたのお陰でここまで回復できた。本当に有難う」

「改まってどうしたの? まだすっかり治ったと言えないんだから、お礼はまだ早いわ」

「ああ、でも言わずにいられない。あなたには何度でも感謝を伝えたい」

「あなたが良くなってきて、わたしはそれだけで嬉しい。治りかけだから、まだ注意が必要よ。換気してくれたのはいいけど、喉を冷やさないでね」

「平気だ。熱を発散したのさ」

 窓を閉め、俺はベルナデットを安心させる為、寝台に戻った。

「今日、熱がぶり返さなかったら、明日は中庭や周辺を歩いてみる。退屈でも今日は大人しくしているよ」

 そうしてちょうだいと、ベルナデットは肯いた。

 熱が引いて思考が回るようになったというか、大分気持ちが落ち着いた。ベルナデットも容態の急変を案じる必要がなくなり、表情の険しさが取れた。長いこと緊張を強いた。俺への付き合いで粥をもう食べなくてもいい。一緒にしっかりと栄養を摂り、ゆっくりと眠ってくれ。

「マ・シェリ」と呼べば、微笑みを向けてくれるやさしい女性。じきにその白い手を煩わせずに済むようになる。

 俺が読書か昼寝か区別のつかない過し方をしている間に、ベルナデットはマダム・メイエの所に顔を出していたらしい。大物の洗濯物の手間賃は俺持ちにしていいのかとか、近所の美味しい店がどうとか、道具屋に面白い所があるとか、マダムと話したと、午後に聞かせてくれた。

「動き回って疲れないか? すこしはじっとしていたらいい」

「充分休んでるから安心してちょうだい。日々気分よく生活する上できちんとしておきたいことって色々とあるじゃない。掃除と洗濯はこまめにしていた方が綺麗だし、食べたら食器はすぐに洗わないとこびりつくし、今は冬だからいいけれど、季節が変われば匂いやら虫やら嫌じゃない。気にならないなんて言う人もいるけれど、それが原因でお腹を下したら困るでしょう?

 要するに、人が生きていると、お腹は空くし、汚れ物は出るし、その都度片付けなければ、あっという間に動物の巣と同じになっちゃう。

 わたしってきっと単純にできているのよ。こうしてマメに働いて、好きな人の顔を見ていれば満足できる」

 お喋りを一通り終えて、ベルナデットは大きく息を吐いた。

 俺の側にベルナデットがいてくれる。見詰め合い、微笑み交わして、胸の奥が疼いた。苦しさや熱ではない。これは心の作用だ。

 今まで生きてきた中で、これほどの充足、熱い想いを抱いたことがあったろうか。やさしい女性の存在に心和ませ、このままでいられたらと叶わぬ願いをとなえたくなるとは。強く腕を回せば脆く壊れてしまいそうな女性に支えられ、頼り、俺は弱くなった。

 病が癒えて、体力を戻せば、弱さは消えるだろうか。

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