表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君影草  作者: 惠美子
第三十六章 あなたのためのわたし わたしのためのあなた
374/486

二十三

 昼食を片付けてから容態を確かめる為、ベルナデットは額と額を合わせる。

「まだ熱い。でも表情がはっきりしてきて、安心した。

 お薬をもらってくるわ」

 外はまだ雪がちらついている。こんな寒さの日に二度も外出させなければならないとは、我が身がうらめしい。

「気を付けてくれ。あなたまで風邪を引いたらたまらない。本当は行かせたくない」

 俺の戯言にベルナデットは嬉しそうに答える。

「大丈夫よ。それに処方されたお薬を飲んで回復してくれればいい。あなたがわたしを介抱してくれればいいんだから平気」

「そんなことを言われたら、心配だ。それに伯母上に申し訳ない。

 そうだ、店はいいのか?」

「ええ、大丈夫。お医者様を呼びに行く前に寄って、話をしたから。あなたが全快するまで付いていておあげなさいって。

 あなたの方こそお仕事はいいの?」

「公現祭の日は休むと言っているから平気だ。

 明日以降は明日にならなければ判断できないのだから、あなたが気にすることはない」

「あなたがそう言うのなら」

 俺の具合や部屋の温度を何度も確かめて、ベルナデットは出掛けた。ストーブの炎は安定している。俺は目を瞑った。

 一昨日、ラ・パイーヴァ邸での宴から早々と出たのをゴルツ大使も知っている。明日以降の予定を今の時点で決められない。気掛かりでも、立ち上がって何ができよう。病を長引かせて得はない。今すべきは療養。

 寒い中、忙しさにかまけて自分の身を顧みなかったつけだ。

 呼吸に痛みを伴う息苦しさと熱で思考が鈍る。ベルナデットと二人で過せる時間が得られたと、さいわいに思おう。それ以外考えてはいけない。

 横たわったまま、部屋のわずかな物音に耳を澄ます。時計の針、炎の揺れ、日頃気にしないことにも動きや音があるのだと、気付かされる。自分の身の内、特に呼吸器、急に一人きりになった部屋の広さと空気の流れ、わびしさの中、それらが大きく響く。

 一、二時間経ったのだと思う。ベルナデットが帰宅した。寒そうに鼻の頭や頬を赤い。

 どれほど待ち遠しかったか。悪い夢を見て泣き出した幼児の気分だ。駆けつけてくれた乳母扱いでしがみつきはしないが、救われた思いでベルナデットを見上げた。

「お帰り」

「ただいま。眠っていたのならごめんなさい」

「いいや、昼間眠ると夜眠れなくてつらくなる」

「気持ちがしっかりしてきているのなら、治るわ」

 ベルナデットは処方された薬を示した。側にいてくれるだけでこんなにも心強い。俺は肯いた。ベルナデットは俺の様子を見て安心したようだ。一息つかせてね、と椅子に掛けた。雪の中、大変だったろう。本来なら俺が椅子で、彼の女が寝台に休むべきなのに、弱っていては不甲斐ない思いをするばかりだ。

 そろそろ日が傾きかけ、ベルナデットが早めに夕食の支度をと取り掛かろうとしたところ、女中がやって来て、声を掛けた。

「ムシュウ・アレティンにお客様がいらして、お渡ししたい物があると仰言ってます」

 大使館? それとも『ティユル』からか? 俺が口を開く前にベルナデットが応対に部屋を出た。そして何やら不思議そうな顔をしつつ、戻ってきた。

「シャン゠ゼリゼ通りのマダム・ラ・パイーヴァのお屋敷から来たって男の人がいたわ。一昨日あんまり様子が悪いのを見て、寝込んでロクに食べてないのじゃないかと心配して、公現祭のお菓子を差し入れますですって」

 流石、招待客の住所は全部把握しているのね、と妙な感心をしている。いや、俺はラ・パイーヴァにここの住所を明らかにした覚えはない。

 一昨日乗った馬車は辻馬車でも大使館の馬車でもなく、ラ・パイーヴァ所有のものだったかと、今頃思い出した。あの女性に住まいが知れようが痛くも痒くもない。しかし、ベルナデットの存在を知られてしまったか?

「来たのは誰か名乗っていたか?」

 ベルナデットは気にしていないようだ。召使いのラノーさんとか言っていたと答えた。執事補にそんな名前の男がいたな。

「わたしを奥様かなんて尋ねるから、従妹とだけ答えたわ」

「お客の相手までしてくれて、有難う」

 どういたしまして、とベルナデットは言った。

「贅沢で知られるお宅でくださったお菓子はどんなものなのかしら?」

 得意と言っていた王様のケーキが作れなかったから、残念がっているのかも知れない。喜んでいるとも言い難い口調だった。

「こんな時に食べても味は判らない。ただの栄養補給にしかならない。

 元気になったら改めてあなたが焼いてくれないか」

 有難う、そう言ってくれると嬉しいわ、とベルナデットは頬を寄せ、額にも口付けしてくれた。俺も嬉しい。

 誰にも気兼ねせず、ベルナデットと二人でいられるひとときはどんな宝玉よりも代えがたい。いつまで続けられるのか、そんな考えは少しも浮かばなかった。喜びはすぐに去るものだから、しっかりと記憶と感覚に残したい。

 公現祭の「王様のケーキ」ですが、手持ちの『貴婦人が愛したお菓子』(今田美奈子 角川文庫)を見ますと、アーモンドフィリングのパイ菓子です。当たりの小さな陶器の人形を入れて焼き上げ、切り分けて食べます。食べる中から陶器の人形が出てきたら、その人がパーティーの王様になります。お正月番組でEテレでも放送してました。

 ナッツのパイ菓子、胃もたれするといけないので、熱が下がってからの方が無難かも。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ