二十一
どれくらいの時間が経ったのか、ベルナデットの声が聞こえて、目を開いた。
「晩ご飯にしましょう」
俺は上手く動かせない体に力を入れ、起き上がった。ずっと横になっていたから、体が固まってしまいそうだ。体温は高いままで、動作一つにも苦労する。頭が錘になったみたいにくらくらと安定に欠いた。
ベルナデットの白い手が俺の額や頬に触れ、硬く絞った冷たい布で、そっと拭いた。
「どう?」
「ああ、有難う」
ベルナデットから絞った布を受け取って、自分で顔や首筋を拭き直した。ひんやりとした感触、気化熱と呼ぶのは大袈裟だが、体にこもった熱がすうっと出ていく一瞬の快さがあった。
「食べやすい物、体の熱を取ってくれそうな物って考えたんだけど、あまり思いつかなかったわ」
粥に、野菜のポタージュ、林檎とオレンジがいつでも剝けるようにと置いてあった。たったこれだけでも全て平らげられるだろうか。しかし、ベルナデットが懸命になって準備してくれた品だし、水分と栄養素を補給しなければ回復できない。少しずつでも体に入れよう。
匙を手にして食べさせようとするつもりなのか、子どもに対する乳母さながらにベルナデットは構えるが、そこまで弱っていない。
「いただくよ」
手を伸ばした。期待が外れた苦笑いが、匙を手渡した。こちらは幼児でもなければ、手を怪我したのでもない。
俺が食事をするのを眺めながらベルナデットは優しい笑みを浮かべている。俺の為に何かしたいと彼の女は望みを口にしていた。その望みがわずかながらも叶った状態と言えるのかも知れない。心配だが、すぐに回復の見込めそうな発熱性の風邪。俺の面倒を見られて、満足出来ただろうか。張り切り過ぎて慣れぬ看病で疲れが出たら、仕事に差し支える。申し訳ない。自然、心の声が漏れ出た。
「済まない」
ベルナデットは詰まらなそうに告げた。
「済まないなんて言われて、わたしが嬉しいと思うの?」
え、と思わず出た声はかすれた。青い瞳はじっと俺を見詰めたまま、タンタロスの渇きのもどかしさを訴えるようだった。
何故?
あなたは手を伸ばすだけでいい。あなたの男は目の前にいる。
俺はかすれた声を絞り出す。
「折角の休みの日に、俺が熱を出したばっかりに、それにこれでは明日のお祝いも台無しだから、俺はそれを悪いと……」
「日曜日にのんびりできなかったからって、わたしは嘆いたりしないわ。
オスカー、あなたが心配だからよ。大切なあなたが寝込んでしまって、自宅で平気で過せると思っているの? 仕事だって手に付かなくなるわ。
あなたはいつもわたしに優しくしてくれる。わたしはいつもあなたの優しさを受け取ってきた。
だからわたしもあなたに気持ちを示したい。
あなたの為に尽くすのは苦ではないの。喜びなの。
済まないなんて言わないで」
ベルナデットはようやく俺の手を取り、自分の顔に持っていった。
「あなたの為にわたしがあって、わたしの為にあなたがいる。
これは貸借じゃない」
病とは違う感覚の震えが襲ってきた。こみ上げてくる熱さに耐えかねて、目から涙が零れた。
俺は彼の女の献身に値する男だろうか。俺は思い上がってはいないだろうか。
「済まないと言ったのは間違いだった。でも判って欲しい。俺はあなたにいくら感謝しても感謝しきれない」
ベルナデットは泣き笑いで肯いた。
「あなたのその気持ちが嬉しい」
手を取り合い、互いの想いがそこから流れていく。苦しい呼吸を忘れさせてくれた。