二十
マダム・メイエや女中はあくまでもこの館の管理人で、掃除や洗濯、朝食の提供をしてくれるが、寄宿人の健康管理や看病は仕事ではない。朝食を運ぶついでに頼まれ事を請け負ってくれたが、それ以上は余分に心付けを渡されても手に余る。ベルナデットが来てくれて、安心しただろう。
俺もまたベルナデットが側に来てくれて、それだけで気持ちが楽になったのだから現金なものだ。ベルナデットは部屋の暖房やら、衣服やら、自ら動いて調節してくれる。自宅から解熱剤や食べ物など持参してきたようだが、まだ足りないと、マダム・メイエに尋ねて買い物にも行ったようだ。
「学生街って自炊する人もいるようだけど、賄いも繕いもできない人が多いからって考えた商売があるようね。面白いわ」
飲み物や果物、食材を並べていた。
「古いのが余っているっていうから見せてもらったわ。充分使えるから借りてきた。ストーブがあれば暖房だけでなく、お湯も沸かせるし、料理も作れるわ」
マダム・メイエからストーブやら、鍋や食器を借りてきたらしい。
「幾ら掛かったか後で教えてくれ。きちんと払う」
「自分の財布と相談した中でやっているんだから、大丈夫よ」
「マダム・メイエのことだからストーブや石炭、炊事道具の代金は下宿代に入れて請求してくるだろうが、俺の食事や日用品であなたが負担するのはおかしいし、心苦しい」
「何を言っているの。わたしがここにいる分、わたしだって飲んだり食べたりするでしょう? 自分の分くらい自分で賄うわ」
「ならせめて折半」
肯かなけば、俺が大人しく寝ないと思ったか、ベルナデットは折半で、と了承した。
気掛かりが一つ片付いた。大きく息をすると、喉の奥や気管がざらつくような痛みがある。冬の寒さと乾燥にやられたか。呼吸や嚥下の度に沁みる。今は我慢だ。
ベルナデットはストーブに水を張った鍋を置いて、乾燥を抑えようとしてくれる。彼の女の細かな心遣いが胸に染み入る。体が弱ると、気持ちまで弱る。
「有難う」
「喋らなくていいのよ。ひどい声をしてる。とにかく休んで、眠くなくてもきちんと目を閉じているのよ」
白い手が俺の額に触れる。
「熱が下がらないようなら、お医者さんを頼んだ方がいいかも知れないわ」
「風邪で熱が出たくらい平気だ。今日、明日寝ていれば治る」
喋らないの、と彼の女の指が額を軽く突いた。
「あなたがいてくれればよくなる」
「そう言ってくれると嬉しいわ。さあ、おねむんなさい」
今度こそ素直に目を閉じた。
ベルナデットは俺の様子を窺っていたようだが、しばらくすると部屋の観察を始めた。猫になったつもりでも、移動する気配が伝わってくる。泊まり込む気のようだから、準備が必要なのだろう。熱と息苦しさに、考えるのをやめた。
喘ぐようにして、目が覚めた。
「オスカー」
ベルナデットは俺の顔にまた手を当てた。
「気分は?」
「変わらないかな?」
目が覚めたのなら、とベルナデットは湯冷ましを差し出し、林檎をむき始めた。相変わらず飲み下すのに苦労するが、水気の多い、ひんやりとした感触は体に潤いと感覚を取り戻させてくれる。
「熱が下がらない。お医者さんに来てもらった方がいいかも知れない」
「今日は日曜日だ。医者だって休みだ。まずは休ませてくれ」
「ええ、あなたがそう言うなら。でも辛かったらきちんと言って、すぐにお医者さんに往診をお願いする」
「ああ、あなたがいれば大丈夫。よくなるよ」
彼の女がいてくれればそれでいい。ただ、もう、考えるのが辛く、喋るのも面倒だった。




