十八
男を誘惑するのが第二の天性、とは言えないだろうが、この女性が愛想のよさには裏があるのかどうか、常に用心しなくてはならないと、俺は自分に言い聞かせる。誰しも好印象の人間とばかりと接して生きていけないが、娼婦は自分を買おうとする相手を軽蔑しきっていても、それを見せない。招待されたフランス人たちはもてなされて気分よくしているが、屋敷の女主人、ラ・パイーヴァは元々フランス出身ではないし、後援者はプロイセンの有力者。巴里の政財界の思惑、宮廷の醜聞が口から漏れ出れば、それはプロイセン側にとって愉快な情報となる。ゴルツ大使も俺もそれが判っているから、訪問を途切れされることができない。
大使館を出る前は寒気で身を震わせたが、シャン゠ゼリゼの屋敷の広間は暑いくらいだ。汗ばむほどに暖房を効かせ、人いきれと紫煙と香水の匂いで、息苦しさを感じた。空気が濁って、いくら深い呼吸をしようと、窒息しそうだ。
「アレティン大尉、どこか悪いようだが?」
ゴルツ大使から心配されてしまった。気管がそれで寛げる訳でもないのに、喉元に手を当てる。
「小官には暑すぎるようです」
大使はじっと俺を見据えた。
「顔が赤い。主人側に挨拶は済んだのだから、今晩はもう下がったらどうか?」
あついのはこの部屋ではなく、俺自身なのか? 大使に指摘されて、尚更熱を感じる。
「有難うございます」
「喋り方がたどたどしい。これ以上この場にいても見苦しいし、からかいのタネになる」
はっきりと告げてくれたのは、むしろ有難がるべきか。この場に居続けても役に立たないと、自覚できた。情けないと省みる余裕さえない。
「無理は必要ない。下がって体調を整えなさい」
「恐れ入ります。そのようにいたします。失礼いたします」
招待者に退出の挨拶をせねばと広間を見回し、ラ・パイーヴァを見付けた。
「連日のお祝いでいささか疲れたようです。お暇いたします」
ラ・パイーヴァは年齢相応の世話焼きの様子を見せた。
「ここでお休みしていってもよろしいのよ」
いいえ、ご迷惑を掛けられませんと断ると、馬車をご用意しますからと掛けて待てと言い出した。ご婦人たちのいる場所で座れないと言いはしたが、誰かが俺の肩を押してソファに座らせた。その所為か知らないが、目が回って動けなくなった。
そこから先は視覚も記憶も曖昧だ。馬車が来たと言われて立たされて、御者に行く先を告げて、確かに寄宿先に帰った。御者が俺を促して降ろすのに、マダム・メイエが女中かが起き出して、玄関先から覗いていた。女中がバタバタと階段を上り、氷室のようになった俺の部屋に先に入って火を熾してくれた。体を引きずるようにして部屋に入ると、女中は俺の様子を見てとって言った。
「ムシュウ、何かご入り用の物はございますか? 暖かい飲み物とか?」
「火は落としちゃったんじゃないか?」
「まあそうですけど」
「湯冷ましでいい。白湯が何か」
こんな時でもじっと俺の動作を見守りながら待っている。のろのろと懐中を探り、心付けを女中に渡した。
「承りました」
女中が出て行った間に着替え、寝支度を整えて寝台に横になった。女中がポットとカップを持ってきてくれたようだが、夢か現か区別が付かなかった。
熱に浮かされて、起きているのか眠っているのか、自分でも覚束ない。新年早々災難だ。
瞼を閉じてからどれくらい経ったのか、音がしたので目を開けると、マダム・メイエがいた。部屋のカーテンを開けて回っている。もう朝か。
「お早うございます。お加減が悪いようだと聞きましたので、食べやすい物がよいと思いました」
盆にはお茶とパン粥があった。
「有難う、マダム」
「今日は日曜日ですから、ゆっくりなさっていればよろしいですよ」
日曜日か、明日の公現祭まで回復できるだろうか。今の状態では自信がない。